平成の美術 1989-2019  椹木野衣

2018年11月09日 公開

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 直接に死者などの被害が出たわけではないので印象も薄いかもしれませんが、それは日本が食料を海外から調達できる体制にあったからで、これが江戸時代なら大飢饉で多くの人が餓死するような緊急事態です。ゆえにこれを平成の大飢饉と呼ぶ向きもあるくらいですが、あながちそれも大げさとは言えない大凶作の年だったのです。実際、天明の大飢饉では東北地方を中心に大規模な食糧不足となり、2万人におよぶ餓死者を出しました。大凶作は敗戦直後の昭和20年にもあり、この時の作況指数は全国平均で67でした。これらの飢饉はいずれも天候不順がもたらしたものですが、その要因は諸説あり、はっきりしないものの、火山の大噴火による火山灰の噴出が太陽光を遮り、年を通じて気温が上がらなかったことが有力とされています。そうであれば、日本列島は世界でも有数の火山列島ですから、同じようなことはいつ起きても不思議でないことになります。毎日飽食に明け暮れているようでも、ひとたび同様の火山の噴火が起きれば、同じように大凶作となり、なんらかの事情で食料の備給がうまくいかなければ、餓死者が出てもおかしくありません。実際、私たちは東日本大震災の際、スーパーマーケットやコンビニエンス・ストアの店先から食料といい水といい、そのことごとくが姿を消したのを目撃しています。凶作だけでなく、電力不足や流通経路の遮断によっても、日本列島はたちまち食の危機に陥ってしまうのです。
 長々と平成の自然災害について書いてきましたが、こうして見てきたとき、仮に戦争という言葉によって昭和という時代を言い表すならば、平成とは、その見かけの文字上の平穏さに反して、著しい災害の時代であったことになります。天皇の心中は推し量れませんが、心穏やかであったとは到底、思えません。実際、私たちは平成の天皇と皇后を、予期せぬ災害で体育館などに大挙して避難した住民たちのもとを訪ね、励ましている様子によって長く記憶するはずです。国土と国民全体の安寧を祈願する天皇にとって、これほど残念なことはないでしょう。とくに、平成7年の大凶作で著しい不作となり、あるいは平成23年の核災害で放射性物質を取り込んでしまったコメは、新嘗祭によって五穀の豊穣を祀ってきた天皇家にとって、象徴的に言ってもたいへんな事態です。元号がなによりもまず天皇による御代であることを考えれば、なおのことです。今回がそうだというわけではありませんが、歴史的に見ても過去、天皇の在位中に改元がなされる際には、決まって自然災害が相次ぎ、為政者はそのことで時代の機運を変えようと試みました。ひとつだけ例をあげれば、安土桃山時代にあたる豊臣政権は、大地震が相次いだ文禄5年に改元を試み、慶長としましたが、この年には慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震と、西日本の中央構造線に沿って巨大な地震が相次ぎ、多大な被害が出て、秀吉の伏見城でもたくさんの死傷者を出しました。思うがままに権力を誇り、絢爛豪華な美の世界を後代に残した秀吉の時代も、自然の相から見れば、ひどく不安な時代でもあったのです。
 過去の改元のことが出たところでもう一度、振り返っておけば、私が言いたいのは、自然災害と元号との関係だけではなく、このような多発する自然災害が、ときの為政者のみならず、そのような国土に棲む人々の心に大きな影響を及ばさないはずがない、ということです。そして、虫食いのように少しずつ、しかし確実に及ぼされた影響は、その人が発する声色や言葉、描く文字や絵などにも長く尾を引き、その時代に作り出される芸術の世界観の中にも深く浸透しないではいないはずだ、ということでもあります。これは、大きな災害が起きた時に、芸術家になにができるのか、という即物的な問いとは大きく違ったところにあります。そもそも、ことの渦中では元号など意識しません。与えられたこの機会に、たとえば、これまでは戦後50年に起きたとされてきた阪神淡路大震災が平成の災害であることを強く意識するのは、平成がいままさに終わろうとしているからです。ある時代を規定している気分というものは、そこから離れて初めて、だんだんとはっきりしてくるものだからです。
 それに比べれば、たとえば平成の美術をグローバル時代のアートと混同し、世界市場のなかで日本のアーティストたちが活躍するようになり、マーケットの力が著しく強くなって、「ビエンナーレ」や「トリエンナーレ」といった国際展が盛んに開かれるようになったというたぐいの総括は、たんに形式的な事象を拾い上げたものに過ぎず、時間が経てば経つほどその有効性を失っていくでしょう。もしも平成が大災害が連鎖する時代であったのならば、平成の美術をかろうじて支えてくれた揺らぐ不定形の地盤は、懸命にそれを下部構造に据えつつ、どうにかこうにか上部構造としての文化を作り出してきたはずです。この場合、下部構造はフロイトのいう無意識にあたり、上部構造の象徴秩序に対し、欠如(忘却)を通じてフェティッシュ(=物象化論的)に表象します。そしてその記号の体系は、平成が元号「α」へと改元され、本当に欠如する(=充足される)ことによって、初めて思い起こされる性質のものなのです。

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