平成の美術 1989-2019  椹木野衣

2018年11月09日 公開

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 こうして私は、平成の美術とは誰もがひどく不安で、どこにも拠りどころのないものであったのではないかといま、回想しています。ソーシャル・メディアの爆発的な普及が、これにさらに輪をかけました。けれども、EUはすでに世界に先駆けてGDPR(一般データ保護規則)を立法化し、今年の5月から施行しました。その内容に詳しく立ち入る余裕はありませんが、グーグルやフェイスブックといったソーシャル・メディアを通じて、個人のプライバシーがビッグ・データへと暗黙のうちに回収される、好き勝手に政治利用される事態に対し、罰則を持って厳格に対処しようとするものです。人々が自分のプライバシーを著しく侵害されてもなお、ソーシャル・メディアによる相互承認の充足を今後も優先するかどうかは疑問です。
 いま私は、故人である小渕元首相が官房長官であった時代に「平成」と墨で書かれた紙面をテレビカメラの前に差し出し、その瞬間から平成の時代が始まったときのことを思い出しています。元号「α」はもう決まっているはずですが、明かされていません。けれども、同じような画面は来年、テレビ等を通じて全国民のもとに確実に届けられるはずです。そしてその時、私たちは平成とはどんな時代であったかについて、本当の意味で考え始めるのです。
 平成とは「平らに成る」と書きます。激動の時代と言われた昭和に対して、平静や平穏、平等や平和を祈る気持ちのあらわれでもあったのでしょう。平成の美術というテーマに引きつけて言えば、平成とは村上隆の言う「スーパーフラット」な時代への希求であったと言えるかもしれません。けれども、ハイアートとサブカルチャーを近代以前の「奇想の系譜」で接続するスーパーフラットは、どちらかと言えば、敗戦を経てアメリカの民主主義に急いで倣った昭和の効果=副作用です。こうして実際に振り返ってみたとき、平成という言葉から浮かび上がってくるのは、むしろ、ありとあらゆる時間軸、空間軸を捩じ切って圧縮し、堰を切って崩れる斜面と、何にもなくなった大地に向けて無造作に放り投げられたような被災物の山でした。それは「平成」であるどころか、あらゆる場所に亀裂や陥没を宿した、巨大な「凸凹」の積層体です。
 その平成もあと半年ほどで終わりとなります。その締めくくりもまた、災害の連鎖に次ぐ連鎖でした。今年だけでも、大阪北部地震(このとき動いた活断層は、先に触れた慶長伏見地震で割れ残った有馬〜高槻断層帯の一部ではないかとの説も発表されています)、西日本豪雨、台風21号、北海道胆振東部地震と、歴史的に言っても規模の大きな災害が引きも切らず起きています。他方、地下鉄サリン事件で未決死刑囚として拘置されていたオウム真理教・教祖の麻原彰晃をはじめ、合わせて13人に及ぶ過去に例を見ない集団死刑が2回に分けて執行されたのも平成30年です。いま、元号「α」2年に開催される新東京五輪に向けて、平成があたかも強制終了されていくかのように見えるのは私だけでしょうか。けれども、「平成の美術」が本当の意味で始まるのは、ようやくこれからのことなのです。

 

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