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2022年01月22日 公開

批評と学芸

蔵屋美香
聞き手:中尾拓哉

 

中尾:本日は「批評と学芸」というテーマで、蔵屋さんの批評的関心についてお聞きしたいと思います。私は以前から蔵屋さんの批評には制作に対する踏み込みの深さを感じていました。まずは学芸員という立場から、蔵屋さんが制作についてどのような考えをお持ちなのかうかがえますでしょうか。

蔵屋:私は子どものころから絵を描くことが当たり前すぎて、そのことに疑問も持たないまま美術大学の油画科に進学しました。実は長い間、漫画家志望だったんです。2021年ようやく新人漫画家「暗☆闇香」として商業誌デビューしたんですよ(*1)。大学卒業後、大学院で明治の洋画について研究し、そのまま学芸員になったのですが、なぜか東京国立近代美術館での学芸員時代は自分が絵を描けることをほぼ忘れていました。作品の点検中にキャンバスタックが作品からぽろっと抜けた時、初めて見たみたいにびっくりしている先輩がいて、自分と文学部美術史学科出身の同僚のバックグラウンドの違いに驚いたこともありました。しかし私自身、制作の経験が何らかの研究方法に結びつくという筋道はなかなか思いつきませんでした。
学芸員になって10年ぐらい経ったころでしょうか。ギャラリートークをしている時、自分が目の前の作品について、作者の制作過程を追体験するように話を組み立てていることに気がついたんです。例えば岸田劉生なら、「これくらいの粘度の絵具をこういう順番で塗ったんだな」という風に、制作の進行を自身の身体的な制作の記憶に結びつけてたどっていたわけです。劉生は100年も前に亡くなっている、という事実がぼやけ、作品を介して劉生と直接話をしているような、何だか霊媒的な方法でした。

中尾:美術批評もディドロまで遡れば、始まりは技法的な視点から評するものでした。私はマルセル・デュシャンが没頭したチェスについて研究していますが、もともと幼少期にチェスが自宅にあり、兄妹で遊んでいたというデュシャンとよく似た経験がありました。そんなこととは関係なく、大学でデュシャンについて調べていた時、彼がチェスをしていたことを知り、同時に美術史で語られてきたいわゆるデュシャンの制作のプロセスにチェスという重要なピースが欠けていると感じたんです。デュシャンの先行研究は隙間がないかのように緻密に構築されているにもかかわらず、彼が生涯を通じてプレイしていたチェスは美術史の枠の外にありました。デュシャンが非制作の文脈で語られる中で、彼の絵画やレディメイドを、チェスを含めた大きな連関として捉え直したかったんです。私は制作的な視点、美術史的な視点、批評的な視点が地続きになっている部分に興味があります。

蔵屋:中尾さんもご自分がチェスをやっていたからチェスに反応できたわけですよね。それは私が絵を描いていたからどう描いているかに反応できる、ということと一緒なのだと思います。東近美時代、何度かギャラリートークで参加者に東山魁夷の《道》について感想を聞いたことがあります。すると開口一番、「人生」「苦難」「希望」というような答えが返ってくるんです。しかし作品自体に焦点を合わせれば、それが、二つの直角三角形と一つの二等辺三角形、それに二つの長方形の組み合わせで描かれた、しごく幾何学的な絵であることがわかります。こんな風に、時に人は、目の前にあるものを見る段階を飛ばして、多くは刷り込みによっていきなり抽象的なことを言い出します。批評も同じで、歴史的、社会的な文脈はとても大事ですが、そこにいきなり飛んでしまっては、作品自体との間に断絶が生じます。私の言っていることはある意味フォーマリズムの復活みたいなことかも知れないですが、やはり美術にとって制作という事項が周縁化されてはいけないと思います。制作の部分が語りつくされないまま、書き手の政治闘争のヒロイズムを満足させるだけ、みたいな批評が流通するなんて、あまりにマッチョです。たぶん私は作品と言説の間に止まって、そうしたあり方を解毒したいんだと思います。制作という核の部分には、安易な解釈をかき乱すフックが豊富に潜んでいるんですよ。

中尾:「つくること」への興味は、美術の根本とつながっているにもかかわらず、アナクロニックに捉えられてしまう傾向がありますよね。ですが、もっと批評的関心が向けられてよいものだと思います。

蔵屋:私は大学院への進学で、自分でつくるよりも他人の作品を言語化する方が向いていることを知り、いつの間にか学芸員になりました。その後、制作と批評の脳が20年くらいかけて徐々に一つに合わさっていった感じです。そして、まず「物」としての作品が目の前にある、というところから始めるこうした私の批評作業は、私が長年学芸員であるという事実に強く結びついています。美術館の収蔵庫は、例えば横山大観の隣に中村一美さんがしまわれているという風に、ポストモダンが「物」で実体化されたような空間です。歴史的文脈や地域の差を超えて、そこではあらゆる作品が「物」として等価です。だから、まずそれをじっと観察することから出発するというやり方は、とても理にかなっています。加えて言えば、学芸員はこうして「物」から出発し、次にそれを展覧会場に並べることで、たぶん言葉以上に「物」による批評行為を行っています。ギャラリー内の「作品=物」の配置によって関係性の網の目をつくり上げていく行為こそが、実は学芸員にとって最大の批評行為ではないかと思います。

中尾:なるほど、展覧会を企画する批評家ももちろんいますが、そうした美術館での学芸員の活動と比較すれば、確かに「物」を扱う視点に差異が生じることは想像できます。先ほどの身体的な記憶の話に照らし合わせると、学芸員として展覧会の運営や実施に至るまでのプロセスに携わっている体感があることで、批評をする上での視線の先が変わってくるのではないでしょうか。

蔵屋:展覧会を批評する時には、フレームに自覚的であるべきだと思っています。美術館人ならみんな、予算と人手が展覧会のクオリティを大きく左右することを知っています。それを無視して大小の企画を一緒くたに論じてはいけないと思うんです。大規模な予算で良い展覧会ができるところもあれば、そうでない中でベストを尽くす展覧会もある。裏事情を知る同業者の同情ということではなく、それは所与の社会制度を背景に成立する、ある展覧会が内包する批評性です。例えばピカソ展を開催したとする。《アヴィニョンの娘たち》が出ていない、内容が不十分だ、とアンケートに書かれてしまった。しかし《アヴィニョン》クラスの作品を借り出すためには、美術の世界を超えた政治力と、借用料、輸送費、保険料などの莫大な資金が必要です。展評においても、展覧会を成り立たせる力学を一切視野に入れずにする批判というものは、やはり的外れに感じます。反対に、学芸員はそこが見えすぎるので、批評的な視点が持ちづらいと言われてしまうかもしれません。もちろん、あえて同業者としての見方を切って批評するという方法もあります。技術的にはいろいろな球の投げ方があるわけです。

中尾:私自身も批評は、様々な立場から書かれる必要があると感じます。また批評のための批評ではなく、いろいろな書き方があることで豊かになる。例えばそこに遊び心があってもよいと思います。

蔵屋:文章を書く時、私には絵画の構図をつくっている感覚があります。意味のレイヤーと、3章構成で各章を同じボリュームにするとかいった、テキストの造形としてのレイヤーが頭の中に存在します。可能な限りタイトルを駄洒落にするという謎のマイルールもあります。こんな風に一定の癖がある私の文章ですが、一方で、客観的な記録性を持たせたいとも思っているんです。なるべく後世の人が読んだ時に、会場構成や技法の詳細、明文化されていないけれど明らかに影を落としている社会情勢などの情報が伝わるようにしておきたいんですよ。例えば、石井柏亭という明治末から昭和期にかけて活動した画家がいます。正直画家としては凡庸なんですが、彼の展評は、後世の研究者たるこちらがこうじゃないかな、と推論した部分をまさにどんぴしゃで生証言してくれる、まことにありがたいものなんです。自分が過去の文献のユーザーだからこそ、将来のユーザーにとって使えるものを書きたいという願いは強いです。「高松次郎ミステリーズ」(*2)という展覧会を準備していた時に、中原佑介さんの文章を集中的に読みました。論理的で一文が短く、現場の情報もちゃんと入っていて、いいなあと思いました。

中尾:私は東野芳明の文章を読むことが多いのですが、展評であれば他の批評家と比較してディスクリプションがしっかりしているものもありますし、作品の質についても言及しています。そこに書き込まれた生の情報によって、それが時評にも、歴史的な資料にもなりうるということですよね。

蔵屋:そうですね。あの時代は作家と批評家の距離感が近かったようなので、おのずと持っている情報量も多かったのでしょう。

中尾:作家や作品に近づくか、距離を取ろうとするかというスタンスで見えるものが変わってきますよね。入り込もうとすることで、客観的に見えない部分が見えてくることがある。それは鑑賞において制作と距離が取られることにも重なりますが、没入感も批評において重要だと思います。

蔵屋:実際に作家と知り合いかどうかとは別に、私は憑依というのは案外批評の技法として重要なのではないかと思っているんですよ。特に、知り合いになりようのない物故作家の場合がそうです。作り手の立場に身を置いてみたら、今まで歴史的に謎とされていたことが急にわかってしまったぞ、あれれ?という、あの感覚です。とんでもない誤読の可能性もあるけれど、そうして歴史を仮設するということもまた批評の一つのスタンスだと思います。ですので、「仮説かもしれないけれどあえて歴史を組み立てて示してみる」ということから展覧会をつくることもまた、批評の可能性だと思います。資料で証明できないから展覧会はできない、という歴史学的な考え方ではない、蛮勇から開ける視界というものがあると思うんですよ。例えば90年代、明治の初期洋画や日本画、狩野芳崖や原田直次郎などが「再発見」されました。この動向に展覧会の果たした役割は大きかった。調査があり、展覧会があり、実際に「作品=物」が空間に並んでみると、「なんだこの見たことのないおかしな物は」となり、もっとたくさんの人が調べ始める。そういうサイクルが生じたんです。物としての作品が持つ情報量をあなどってはいけません。

中尾:特に近現代美術史は展覧会と展覧会カタログによって編まれてきた側面が大きいですよね。重要な作家でもしっかりとした展覧会が開かれていないと、歴史化されづらい傾向があると思います。

蔵屋:展覧会での露出度合いということについても、美術館界の実情が大きく関係します。例えば村上隆さんや奈良美智さんクラスのアーティストは、これからきちんとした回顧展を開催し、歴史的な位置づけをつくっていく時期です。しかし価格が上がり過ぎ、作品も世界各地に散らばっているため、輸送費と保険料が膨大にかかります。印象派展のように何十万人という人が入ればそこでペイできますが、現存作家ではどうしてもそこまでの集客はかないません。こうした状況から、90年代にデビューした50‐60代のアーティストたちが、今一番個展をやりづらい層になっています。2020年に東近美で開催した「ピーター・ドイグ」展(*3)は、それをなんとか打ち破った稀有な例でした。例えば、日本にいるとゲルハルト・リヒターの本領はなかなかわかりません。リヒターも価格が高すぎる、作品が世界に散らばりすぎているなどの理由で、極東の日本では個展の難しい作家だからです。だから日本におけるリヒター像は、ドイツのそれとはだいぶ違うものとして形づくられている可能性があります。これが20226月から開催の大規模な「ゲルハルト・リヒター展」でどう変化するか、楽しみですね(*4)。
このように、インターネットで瞬時に世界に情報が回る時代になっても、展覧会というシステムには、物理的な制約による情報の「まだら」がものすごくある。展覧会ができやすい、できにくいという地域の事情で、その国の美術観、歴史観が変わってしまうわけです。
しかし、ただ情報の偏差がなくなればそれでよいということではありません。そのしくみは知った上で、自覚的に誤読の歴史をつくってみればよいのです。それが美術における「辺境」に位置する私たち日本の美術関係者が果たすべき、前向きな役割だと思います。

中尾:先ほどの《アヴィニョン》の話もそうでしたが、例えばフィラデルフィア美術館が改装工事をしていなければ、東京国立博物館での「マルセル・デュシャンと日本美術」展のような大規模回顧展は開催できなかったということですよね。あの展覧会はほとんどのデュシャンの絵画やマルチプルが出品されて奇跡的でした。日本でデュシャンの作品がたくさん観られたことは大きかったと思います。

蔵屋:あれはすごかったですよね。初期のペインティングから全部まとめて見て、初めてデュシャンの全貌がわかってきますよね。あの展覧会のように、工事休館中にマスターピースを貸し出して工事費を稼ぐというのは、美術館界ではごく一般的なやり方です。《アヴィニョン》の例に話を戻すと、MoMAにはあの作品をめがけて世界中から観光客がやってくる。だから貸し出せるとしたら工事休館の時しかない。しかも、やはり借用をねらうライバルに負けないよう巨額の借用料を用意する。こんな作戦が必要となるのです。こうしたきわめて即物的な事情によって、見られる作品、そうでない作品が決定され、それぞれの国や地域で異なるピカソ像やリヒター像がつくられていくのです。

中尾:私自身も図版と実物の違いには毎回驚きますが、さらにコロナ禍でオンラインでの出来事とリアルの出来事の関係も変わり、体験するというレベルがまた大きく変化してきていますよね。

蔵屋:さっき触れたドイグ展は、緊急事態宣言によって途中でしばらく休場しました。この間に、ドイグの作品には、人体に対してそれを包み込むような大きさが意図的に設定されている、こういう部分の情報をオンラインで受け取ることは現在の技術では難しい、みたいなことを書きました(*5)。現状では、ゴーグルやグローブを装着して完全にヴァーチャルな環境をつくらない限り、展示空間に入り込み、作品に向かい合って立った時の大きさを体感する、ということはできないですよね。だから、次の技術革新というか、観客の感覚の大変容が起こるのは、技術的にそれが簡単にできるようになった時ではないかと思います。360度の没入世界の構築です。
そうそう、先ほど、わたしの大学院での研究テーマは明治の洋画だと言いましたが、正確には、小山正太郎という洋画家が手掛けた明治期のパノラマ館、つまり、円形の建物の内部に360度の絵を描いて人間を包み込む、スペクタクルの見世物についてだったんです。だからこのテーマについては一貫して強い関心があります。考えてみると人類は、墳墓の中に星空を描いた昔から、19世紀ヨーロッパの見世物「ファンタスマゴリア」、60年代のエキスパンデット・シネマから2000年代のチームラボに至るまで、ヴァーチャル・リアリティが大好きです。他の世界に没入したいという欲望は、おそらく人間にとって基本的なもので、その環境を開発するためにはなんでもするんです。だから、技術はすぐに追いつくと思いますよ。

(*1)暗☆闇香「あの人」『疾駆ZINE “YOUTH”』2021年、Yutaka Kikutake Gallery
(*2)「高松次郎ミステリーズ」東京国立近代美術館、2014―15年、キュレーター:蔵屋美香・保坂健二朗・桝田倫広
(*3)「ピーター・ドイグ」東京国立近代美術館、2020年、キュレーター:桝田倫広。この展覧会は、当初2月26日―6月14日の開催予定だったが、途中緊急事態宣言による休場をはさみ、10月11日まで会期延長された。
(*4)「ゲルハルト・リヒター展」東京国立近代美術館、豊田市美術館、2022年開催予定
(*5)蔵屋美香「ピーター・ドイグのリアルとヴァーチャル」美術手帖WEB[2021年12月27日閲覧]https://bijutsutecho.com/magazine/review/21827

『美術評論家連盟会報』22号