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2022年01月22日 公開

この沈滞、どうすれば

日夏露彦 

 

 日本の美術はこのところ一段と沈滞に陥っていると思わざるをえない。世界に発信できる作品にはほとんど見かけることがないのだ
 負の案件:「表現の不自由・その後」をめぐる国家の介入・恫喝まがい、国際展への検閲ともいえる措置、当連盟の消極対応と役員の「不祥事」、ハラスメント表面化、 公私美術館助成減額続き、美術メディアの行き詰まり、戦時下の聖戦献納画の疑わしい展示、アーツ前橋の作品紛失疑惑、朝鮮人少女像展示への政権の恫喝、行政処分、右翼筋の妨害。
 既存制度の頑迷なばかりの温存、表現の自由への例に見ない抑圧を沈滞の二大要因と挙げておこう。

 明治来の国策支配は東京美術学校や官制展の変則運営、戦時下シュールなど新傾向の弾圧、芸術院・文化勲章設置、報国美術運動に及んだ。
 日本画・洋画などというジャンル分けはどうだろう。一絵画に国名を冠する国粋意識むき出しの慣用語。岡倉天心がフェノロサのjapanese painting と述べたところを日本画と訳したことから、東京美術学校開校時に日本画科設置。しかし不平等条約解消欧化政策と黒田清輝ら帰朝組もあって遅れて西洋画科設置、ここに西欧と国粋を分断する概念誤用の変則美術教育・育成の道が敷かれた。
 はじめから媒材によって膠彩画(glue painting)、油彩画(oil painting)とすれば良かった。しかし、そのまま100年、いや敗戦後今日まで続けられてきてしまった。五美大祭のある美大の日本画室の表示にjapanese style paintingとあり、思わず失笑。
 鴎外、漱石らの近代化の性急・皮相批判、権力への迎合と批判精神を対比させた田岡嶺雲の指摘が今日の美術界になお生きているとは……大学に批評学科を、という発言もあるが、当然現下の弊習構造が問題にされよう。ただですら批判を抑え込む歴史修正主義国策らが許すはずはない。
 以上、積年の国策と表現の自由への抑圧が沈滞をもたらし、解消は容易ではない。とくに学芸と批評を兼ねる立場には難題だが、国家、業界、マスメディアが動くはずはない時代錯誤なダブルスタンダード問題に、率先取り組んで行くことが活路になるのではないか。

* なお 本連盟2001年aicaJAPAN NEWS LETTER 1号 日夏「前時代的呼称”日本画“改称論」参照

 

 

[編集部付記]2021年10月に没せられた故・日夏露彦氏には、会報リリース直前の著者校正を確認していただくことが叶わなかった。ゆえに、最終校正責任は、編集部にあることを付記しておく。

『美術評論家連盟会報』22号