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2022年01月22日 公開

批評と社会体制

遠藤水城
聞き手:沢山遼

 

沢山:遠藤さんは、ビンコム現代芸術センターの芸術監督を勤められたあと、先日日本に帰国されました。近年の日本の現代美術ではよく社会性ということが言われますが、ベトナムは社会主義国であって、そこで考えられている社会、あるいは社会性という概念がもつ含意は日本とはどのように違うのか、お聞きしたいのですが。

遠藤:何人かの東欧出身のアーティストから、いわゆるソーシャリー・エンゲージド・アートが流行したときに、「ソーシャル」という言葉への違和感や抵抗感があると聞いたことがあります。それと同じようなことがあるかもしれません。中国同様、ベトナムにも検閲があります。具体的な制度が文化芸術に対して現実的な拘束力をもっている。日本のアートの文脈では、正義に適っているという意味で「社会」という言葉が使われることがありますよね。その正義の在り方の違いなんだと思います。検閲も社会主義国家の秩序を守るという正義において遂行されています。
 欧米や日本においてベトナムの現代美術作家として紹介されている多くは、70年代から80年代にアメリカやドイツに難民として出ていったベトナム人だったり、その二世たちなんですね。彼らはベトナムを代表していますが、ベトナムにはいない。ベトナム人はいまも分裂、分断、離散状態にあるということです。それがいわゆる「グローバルアート」と相性がいいという部分もあります。でもぼくは、もっとベトナムの国内事情を見たかったんです。
 例えば検閲を内在化した表現に興味をもちました。検閲に抵抗するという考え自体、ベトナムにおいては欧米的だと感じます。抵抗できる人は、いつでもフランスやアメリカに逃げられる人たち。ずっとベトナムでやっていこうと思っている作家たちは、抵抗とか言えるわけがないので。そうなると、抵抗するのではなく、検閲を内面化してしまったその傷のようなものにリアリティがある。そういう作品って、有り体に言えば気持ち悪いんです。メタファーとか諧謔、アイロニーを使うとかそういう話でもない。もっと気持ち悪い。
 印象論で言うと、カフカや残雪を読んでいるときの気持ち悪さに似ています。一般的に彼らの小説は不条理とか幻想的と言われるんですが、ぼくの認識では圧倒的にリアルなんですよね。事実以上でも事実以下でもない。欧米的な主体の概念が確立されていない。自由な主体のための抵抗というロジックが確立されていない。そのときに、抑圧されているのか、自由を与えられているのか、自己表現しているのか利用されているだけなのか、といった事柄が、錯乱していく。その価値基準が錯乱しているから、こっちがなにを見て良いのかわかんなくなるっていう。
 別の話をしますね。あるベトナム美術の大家と言われる画家がいるとします。彼はベトナム戦争に従軍し、戦場で多くのスケッチを残しました。それは本当に貴重な「下からの戦争画」と言えるものかもしれない。しかし、戦後にそれが高く売れるとわかって、追想によって多くの戦場スケッチを乱造します。また、戦後の彼はベトナムらしいおおらかさを表現した「鶏」の絵で人気を博します。あまりに売れるので全く同じ絵を何枚も描きます。版画ではなく油絵でほぼ同じ絵を何枚も描きます。そうやって得た莫大な財で、彼はかつてあったベトナムの農村風景をそのまま再現した「テーマパーク」のようなものを建設します。さらには、マティスとかフォーヴィズムの薫陶を受けた絵を描くことが「俺たちはフランス統治時代の教育を受けた」という証明になるんですが、彼はそういうものも描く。なんと、それを2000年代に描く。そして絵の隅に1947とか1951とか記入して制作年を偽ります。その作業は彼が「若かりし日に描いたかもしれないこと」の実現といった様態になっています。
 ちょっとパッチワークして架空の画家にしていますが、一つ一つのディテールは事実としてあった話です。オリジナリティの概念や作家性、あるいは時代背景とともにある作品という考え方が崩れていく。社会主義体制下だからこういう作品でしょう、今は市場開放されて現代美術があるでしょう、という作家-作品-時代という一致が不可能、というか意図的に崩されていくようなところがあります。「思い出」が駆動原理なところとか。そういうのが面白くて。

沢山:オリジナリティという概念自体が欧米のものですから。ゆえに彼らのバラバラなスタイルをポストモダンなものとして評価すること自体も欧米中心主義的な転倒になってしまうでしょうし。彼らはもともとそれを崩そうとも思っていないわけで。

遠藤:彼らのことを見ていて、社会主義体制がなにかを先取りしていることもあるんじゃないかといった感じで、ボリス・グロイスの批評を参照できそうだなと最初は思っていたけど、なんかそういうものでもないという気がしてきたんですね。もうちょっとなんかこう、しょうもない。しょうもなさのリアリティが愛おしかったですね。

沢山:前提を変えたときに、ルールが変わるということはあるわけですよね。たとえばその人の絵を大津絵なんかと同じようなクラフト、民藝として考えると、同じ絵柄のものを反復して何枚も描くなどといったことは普通に行われている。そういうふうに考えると、芸術、あるいは大文字の絵画というもののルール、枠組みをもって接すると混乱するけど、そこをなくすと見えてくる風景というのは確かにあるんでしょう。

遠藤:彼らはなによりも目の前の現実に翻弄されているんですね。革命が起こり、長い戦争を経験し、貧困を通り越して資本主義がもたらす豊かさを知る。たった半世紀余りの出来事です。何かを蓄積するのではなく、その場しのぎで生きていくしかない。そのリアリティに則った美術ということだと思います。全部場当たり的にやっている。

沢山:制作年の問題などは、芸術家としてはまずいのかもしれないけど、人生というものは、どうしても、複数の顔、主体性をもちながら、かつそれを肯定しながら生きていくというところはありますからね。生きていると、その場その場に応じて、異なるタスク、身体性が出てくる。それに応じて生産物のあり方が変わってくる。異なる背景、環境によって異なる生産物が同じ主体からつくられてくるということが、つくるということの一つのありかたを示しているような感じもしますけどね。もちろん、積極的に肯定しがたい部分もあるけど。その生産物の背景には、かならず、それがつくられる動機、必然性みたいなものがあるわけですよね。で、そこで個々の生産物の差異、違いが当然出てくる。すると、個々の生産物がなぜ特異なもの、特別なものになっているかというと、それぞれ別個の仕組み、機序がその都度発生しているからで、それを画一化することはできない。

遠藤:フランス統治下のフォービズム、マティス的なものの流行があったあとに、戦時下のプロパガンダがあり、戦後の共産党独裁時には、芸術家も含めて全員が労働者になるわけなので、美大を出たあとで共産党文化部に入るのですが、ホーチミンのポスターをつくったり博物館の内装を考えたり、建築の図面を引いたりするわけですね。同時に、「たおやか」なナショナルイメージを要請される漆絵と絹絵という政府公認のジャンルも展開する。で、市場開放した瞬間に、短期間に印象派から抽象画までをパクリまくるんですね。ある程度上の年代の作家になると、一人でこれらを複数こなしているのは珍しくありません。それぞれ全く異なる原理を抱えながら制作せざるを得なかった、というのが、こう言って良ければベトナム美術の特徴だと考えています。なので、この作家はこのスタイルが優れている、というような普通の評価の仕方ができない。

沢山:いまの話につながってくると思うけれど、現代美術というのも、ひとつのジャンルに過ぎないわけですよね。美術自体、膨大な人間の活動形態の一端に過ぎない。で、現代美術ってそのなかでも、本当に端っこの、もうマイナーな、非常に狭い世界。遠藤さんのベトナム経験は、それを相対化する視点を持ちうることを可能にしたんじゃないかと思うんですね。現代美術というひとつのジャンルに過ぎないものを、すべてのキュレーターが前提とする必要もないわけだしね。

遠藤:もちろん、最初にベトナムに行ったときは現代美術らしい作家がぱっと目に入ってきて、この人たちを扱わないといけないのかなと思いました。そういうのに慣れてるって言うのかな。でもそれは国外のキュレーターに任せて、何年もここにいるであろうぼくがやる話ではないなと思ったんですよね。「現代美術なるもの」を紹介する役割もあるだろうというのはちょっと頭の片隅にはあるけど、そういう輸入紹介業みたいなのとは違うことをやりたかった。現代美術が制度的に規定されたものであることは明らかで、それをもってきたところで、「ベトナムが今後それを必要とする」という確信をぼくは持てなかった。そうなるとやはり現代美術というジャンルそのものを相対化しながら、別の方策を探るしかない。

沢山:批評でもキュレーションでもそうですが、現代美術というジャンルに当てはめられた作品群というのはたくさんあるわけですが、その弊害もあると思うんですよね。現代美術という枠組みのなかでしか作品が生まれなくなっているとすると。すると、別の文脈を開放していく、どこか別の批評的な回路を見出していくことが必要になる。現代美術と呼ばれているジャンルのなかから現代美術性を解放していくというか。
 ぼくが民藝とかに関心もっているのもそれが関係しているのかもしれないと思うことがあります。道具だから。コンセプチュアル・アートではない。だけどそこには知的な意義があり、その背後にその制作を可能にした環境がある。だから遠藤さんの話で言うと、その画家は、行き当たりばったりでその都度制作しているかもしれないけど、その作品は、その都度異なる発生のし方をしているわけですよね。そこに知的な意義や批評的な意義がないかというと、あらゆる生産物にそれはあると思うんですよね。その意味では、批評的な可能性のないものはないはずなんですね。

遠藤:ベトナムや朝鮮半島で戦争があったが故に、日本のいまの状況があるわけじゃないですか。彼らが場当たりな活動をやらざるをえなかったときに、日本は読売アンデパンダンとかそういうことをやって、アートができてきている。両方考えないと片手落ちじゃんって思っちゃうんですよ。日本を前提とするのがぼくは全然わかんなくて。前衛的な実験が日本で行われていた時に、ベトナムは戦争の真っ只中です。プロパガンダ的なものを強いられている。しかし、ホーチミンの肖像一つとって見ても、無数のバリエーションがあり、その「同一性が維持された上での違い」をちゃんと分析すれば、いろいろなことがわかるはずなんですよね。だからどっちも重要だし、両方やろうよ、って思っているんですけどね。

沢山:そのものをそのもの足らしめている特殊性がそこにある限り、現代美術という枠組みを外してみれば、どんなものでも、調べればかならず面白いことがみつかるからね。

遠藤:それを外せる能力があるかないかって重要じゃないですか。現代美術ってこういうものだとか、制度論を先行させてしまうと、若い世代が追い込まれていく気がしています。そういうのは良くないですよと言う責務があるのかもしれないなと最近思ってます。

沢山:個々の生産物の数だけ異なる歴史をもっているわけだから、美術史の一般的な記述だけではなく、ものの数だけ歴史がある。それは、これから美術が現代美術という枠組みを突破していくのにすごく重要だと思うんですね。もはやポスト現代美術というものを考えないといけない段階になっているわけですよね。つまりコンセプチュアル・アートとかの歴史の上で現代美術を語るということは、そろそろ不毛になってきている。それはみんなはっきりと感じている。そうなったときに、参照できる歴史はあると思いますね。

遠藤:そうですね。現代美術の名の下で、無意識的にでも人をバカにするようなキュレーションをしたくないんですよね。まったく異なる立場の人たちに届く、確実なキュレーションをしたい。最近ますますそういう思いが強くなってきています。

『美術評論家連盟会報』22号