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2020年11月14日 公開

未来の声のために〜芸術批評誌『REAR』の20年
2000年代 地域性(ローカリティー)に拠って立つ

高橋 綾子

 

 2002年10月18日、乾杯の音頭をとってくださった中村英樹さんの晴れやかな笑顔が印象的だった。それは、中部を拠点とする芸術批評誌『REAR』の創刊パーティーでのこと。名古屋のある貸し会議室での懇親会は、美術や演劇、音楽、文芸まで多彩な人々で盛況を呈した。参加者には「創刊準備号」をお配りして、今後の支援を呼びかける決起集会のようでもあった。中村さんはあいさつの中で、60年代からの名古屋における批評家の孤独さにも触れつつ、「こんな状況を待っていたのです」と、熱いエールをおくってくださった。

 「育てる」「後衛」という意味をもつ『REAR』は、「現代における芸術に対して、批評・ドキュメントを介して多様な視座を生み出すことを目的とし、中部/東海地域の作家や展覧会に見られる独自の視点を捕捉することに重きをおく」ことを表明している。(*1)これは中部発の媒体発行への機運を、いよいよ有志が集って実現化にむけて動き出した2001年から模索してきたミッションだった。「創刊準備号」での意志表明を経て、第1号発行が2003年1月ではあるが、準備期間を入れるとかれこれ20年の月日が流れたことになる。

 さて、本稿に課せられたのは、東海地域の美術を発掘、検証する作業に見られる「地域主義」の根拠を説くというもの。たしかにインターネットを中心とする情報化が進み、グローバリゼーションに向かう2000年代のアートへの期待に対して、いかにも『REAR』の振る舞いは逆行しているように映るのかもしれない。先の中村さんは、1号の特集「名古屋発/名古屋脱」のなかで、「作品制作の高い潜在力はあるが、それに鋭く迫る言葉に乏しく、ストレスのたまりやすい環境が、却って雑誌誕生の原動力になったのかもしれない」と指摘された。(*2)

 創刊メンバーである私の見解は、「創刊準備号」の中に見出すことができる。中部の批評媒体の歴史を踏まえつつ、これから制作していく批評誌が何を目指していくべきかを語り合った座談会を再録したもので、わずか6ページの「0号」(非売)である。久しぶりに読み返して、当時の発言にあらためて向き合ってみた。
 「個人の起動力によるメールマガジンや個人誌ではなくて、あえて我々のように世代や立場の違うメンバーが組織を作って創刊することに意味がある。NPO的な意識と、良い意味でのローカリティー。場へのこだわりを尊重していきたい」。さらに、ここで言うローカリティーに関しての脚注には、こう記した。
 「ローカルであることとは、しばしば逆説的に偏見、自虐的な地域第一主義に陥りやすい。ここでは、中央と周縁・局地といった対比構造で事象を短絡的に読み解くことなく、むしろ地域性という観点から、表現や受容の特性を注視することの意義を見出したい。こうした地域性(ローカリティー)に積極的な意味を見出す態度は、NPO的な発想と展開に連動し得ると考える」。(*3)

 この意志は、45号(*4)を発行した2020年の現在でも変わらない。むしろ、どこまで実践できたかに思いを巡らせてみるべきだろう。地域のドキュメントを主軸とした特集は6号「名古屋のコンセプチュアリズム」、14号「再発見:名古屋の写真史」、30号「名古屋の画廊史」が代表的だが、16号「松沢宥」、25号「橋本平八に就て」、33号「弥衛さん」、41号「大きな岩田信市」も、個のローカリティーからその世界観を見渡すことを心がけた。調査を伴う編集は、毎回発見も多く、紙媒体にとどめておきたいという欲求が募る。もちろん限界も感じつつではあるが、地域の文化史を更新していくという矜持もあり、原稿の質と寄稿者の誠意がなによりの励みになっている。

 また、批評誌としての自己言及的な、あるいは検証的な特集もある。5号「制作と批評」、13号「惑う批評メディアの今」、27号「批評家はどこにいるのか」。年表や資料集や座談やアンケートなども掲載し、自分たちの足元を確認していくような作業でもあった。特集テーマは、いつも試行錯誤で決めているが、正直なところ『REAR』を継続していくためには、この自己確認、あるいは定点観測は折々に必要なことであったと思う。結果として、自分たちにとって確かめたいことを調べるという自律性が、NPO的な発想と展開の基盤になってきた。

 では「あいち」の芸術状況の変遷に、『REAR』はこの20年をどのようにして寄り添ってきたのだろうか。その態度は、迎合とは一線を画しつつ、常にマスメディアや商業誌では出来ないことを意識してきた。2005年の「愛・地球博」、2010年から始まった4回の「あいちトリエンナーレ」。それらへの応答もまた、『REAR』の特徴のひとつにもなっていったが、44号の特集「「Y/Our Statement〔私(たち)の声〕」は、格別の思いがあった。張り詰めた思いで、会期中の様子を見守り、この波乱に満ちた「あいちトリエンナーレ2019」に対して、どのような内容にすべきか悩みに悩んだ。大袈裟なようだが、小さな印刷媒体でも、なんらかの圧力や攻撃に曝される可能性もあり得る。覚悟をもって渾身の編集に臨もうとした時、広告がないことで、どこにも忖度しないで方針を決めることが出来る「自由」を、心からありがたくかみしめた。

 「あいちトリエンナーレ2019」を契機に顕在化した問題を「私(たち)」自身の問題として考えること。新聞やインターネット上では、様々な言葉が溢れていた。紙媒体で編むことの「遅さ」も痛感し、その無力感にも苛まれたが、同様に、地元の作家や鑑賞者たちも、所在ないようにも見受けられた。息巻く東京圏からの発信やスピード感からは掬いとられない、地元の「声」があるはずだ。それを伝えることが、『REAR』の使命ではないか。信頼のおける批評家(林道郎さん、五十嵐太郎さん)お二人の巻頭対談と、それに続いて地元の批評家や研究者、新聞記者やボランティア経験者など30名の寄稿。文字通り、「REAR(後衛)」の立場からの発言と、アンケートへの回答として61名のアーティストによる正直で真摯な「声」が集まった。

 ここであらためて実感したのは、『REAR』が顔の見える小さな、そしてローカルな媒体であることだった。それは自己満足することでも、ましてや卑下することでもなく、大切なことへの気づきだった。批評誌という場が「これから発せられる声」のために存在するという意義である。過去を紐解き、今を記録する。そうした態度の先に、未来の表現があり、それへの言葉(声)が伴う。

 20年を経た『REAR』は、この先どうなっていくだろうか。創刊時に「地域性(ローカリティー)に積極的な意味を見出す態度」を掲げた意志を、未来の声へと繋いでいきたい。

(*1)芸術批評誌『REAR』ブログにおける「概要」 http://2525kiyo.cocolog-nifty.com
(*2)中村英樹「批評という表現」、芸術批評誌『REAR』no.1 p.17 2003年
(*3)「今、なぜ批評誌なのか・・美術を中心に・・」、芸術批評誌『REAR』創刊準備号 pp.4-5 2002年
(*4)芸術批評誌『REAR』no.45 特集「コロナ禍の文化と生活」2020年

 

『美術評論家連盟会報』21号