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2020年11月14日 公開

90年代から2000年のコンピュータとインターネットを介した美術批評について
1990年代 オンライン上の批評の黎明

四方幸子

 

 90年代から2000年のコンピュータとインターネットを介した美術批評について述べるには、まずインターネットの登場により領域横断的な「ネット・クリティシズム」が生まれたこと、それによって「美術」「批評」、そして「美術批評」自体の意義や方法、内容が再考される状況になったことから始めなければならない。
 当時の世界的な動向を俯瞰する。1990年前後には米国のWELLに代表されるパソコン通信上の電子掲示板(BBS)があり、テキストベースの情報交換や議論が「フォーラム」内で行われていた。WWW、HTML、ブラウザの登場によってインターネットが大きく変わり、普及が始まった1992年以降、この新しいメディアそして場にいち早く参入したのは、ビデオ、Zineや自由ラジオ、海賊テレビなどを介してインディペンデント・メディアの実践をしてきた主にヨーロッパのアーティストやハッカーたちである。遡ればダダイスム、フルクサス、シチュアシオニズムの系譜にあり、1990年にハキム・ベイが複数のZineを通して散布した概念「T.A.Z. (一時的自律ゾーン)」(場所や時間を変えて出現し消滅)に応答しながら、インターネットの(産業・社会・政治的)領土化に抵抗する実践が開始されたといえる。それはインターネットに潜在する可能性を批評と実践が相互往還する動的プロセスにおいて探求する最前線であった。
 1994年頃からヨーロッパにおいてnet.art(JODI、ヒース・バンティング、アレクセイ・シュルギンら)が、1995年以降にメーリングリスト(nettime、syndicate, faces MLなど)が開始され、アーティスト、プログラマー、ハッカー、キュレーター、批評家、活動家などによる国や空間を超えたコミュニケーションやコラボレーションの場となっていく。批評においては「ネット・クリティシズム」、つまりネットというメディアを介した批評であると同時にネットというメディアについての批評が開始される。ここではインディペンデント・メディアや電子メディアを介した「ポストメディア・オペレーターズ」(H・スレーター。F・ガタリ「ポストメディア」に由来)として上述の様々な行為者が関わりコラボレーションやディストリビューションされる総体を広義の批評的活動として位置付けられる。
 その筆頭としてあげられるヘアート・ロフィンク、ピット・シュルツらによるnettime ML(1995年)では、とりわけインターネットやメディア技術、公共圏に関する議論が、インターネットという情報共有・贈与文化・脱ヒエラルキーを前提とする場で展開された。テキストのβ版を投稿し、フィードバックを活かしバージョンアップの上最終形とするプロセス自体も、批評的実践かつ実践的批評といえる。nettimeは多言語版へと展開、またネットアートの発表や批評や議論のためのオンライン・プラットフォーム(ニューヨークのrhizome、ウィーンやフランクフルトなど欧米の複数の都市で展開されたThe Thingなど)が活動を開始する。1996年にアルミン・メドッシュとフロリアン・レッツァーによりドイツで開設されたインターネット・マガジン「Telepolis」(Heinz Heise Verlag)はインターネット社会における科学、文化、政治など広範囲の批評を展開(*1)、1997年には米国で、コンピュータ関連ニュースを扱うウェブ上の電子掲示板「スラッシュドット(slashdot)」が開設されている(日本版は2001年開始、現在の名称は「スラド」)(*2)。 当時はインタラクティブ・アートの最盛期であり、メディアアート・フェスティバル(ロッテルダムのDEAFなど)やネット文化をテーマとしたコンフェレンス(アムステルダムのNext 5 Minutesなど)が実空間でのネットワークの場を提供した。また多くの関係者が、旧ユーゴスラビアの紛争の際に現地のアーティストやインディペンデント・メディアの支援や情報拡散に関わっていた。ネット・クリティシズムでは膨大なデータがやりとりされたが、一部はアーカイブとして残され、また紙媒体として出版されているものもある(*3)。
 現代美術においては、1998年にアントン・ヴィドクルらが開設したオンラインのアート・プラットフォーム「e-flux」が、当初のプレスリリースを共有するMLから発展し、文化や政治にも関わる論考が掲載されていく(*4)。同時期にはLINUXに代表される「オープンソース」が世界的に注目され、21世紀に向けて常時接続環境へと移行し、「コモンズ」という概念が注目されていく(*5)。 
 次に国内の動向について。日本のBBSでは、1987年に開業したNIFTY-Serve上の「フォーラム」の中に「FART(芸術フォーラム)」が開設されていたが、筆者の見た限り美術批評的なものは記憶にない。当時インターネットに接続していたのはまだ一部の人々であった。そのような中、1992年に中ザワヒデキらがフロッピー・アート・マガジン『JAPAN ART TODAY』を刊行している(*6)。1992年にはP3 art and environmentが中心となり、P3・NEC・RACE(東京大学人工物工学研究センター)による調査研究プロジェクト「A.T.E.(Art, Technology, Environment)」を開始、1996年7月開設のML(日英)では「芸術の社会性」「身体感覚と歴史」などのテーマでディスカッションを実施、同年から1998年にはインターネット上の「東京」の可能性を検討する「metaTOKYO」が展開されている。
 日本のインターネット・アート元年と呼ぶべき1995年には、筆者がキュレーターとして関わったキヤノン・アートラボが10月に三上晴子の「Molecular Clinic [モレキュラー クリニック] 1.0 on the Internet」を、11月にNTTインターコミュニケーション・センター[ICC](センター開館以前)が「ICC ’95 on the web ネットワークの中のミュージアム」で22作品を発表している。1995年には八谷和彦の《メガ日記》、1996年には江渡浩一郎(*7)を始め複数のプログラマー、クリエイター、プロデューサーなどで構成されるセンソリウム・チームの《センソリウム》が発表されている。
 美術に関する記事や批評サイトとしては、1995年に大日本印刷株式会社により「Artscape」が、2000年には首都圏の芸術文化関連のレビューを掲載する「RealTokyo」(日英)が小崎哲哉を編集長に開始されている。
 ヨーロッパの「ネット・クリティシズム」や「ネット・アクティビズム」とつながる存在としては、粉川哲夫、上野俊哉、毛利嘉孝、デイヴィッド・ディヒーリが挙げられる。筆者もこれらのシーンと接続し、インターネットやメディアアート・プロジェクトのキュレーションを中心に批評も含む活動に関わった(*8)。しかし政治・社会的土壌を異にする日本において「ネット・クリティシズム」は根付きにくく、オンラインの美術批評も上述のように数えるほどであった(学術論文における状況については、他の方々からの情報を待ち、本稿の最後に追加していきたい)。
 まとめると、1990年代には、デヴィッド・ボルターが『ライティング・スペース』 (1991年、翻訳は産業図書より1994年発行)で述べた、「著者」「完結性」「権威」などの概念の解体が、「ネット・クリティシズム」において自覚的に探求された。しかし既存の美術批評がインターネットの特性に向き合う動きは少なかったように思われる、オンライン上の掲載によって、マスメディアとは異なる情報のディストリビューションが確実に達成されたとしても。その後、ブログやSNSを介して広く人々が美術についてコメントし批評を発表することが可能な2000年代へと突入することになる。

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(*1).1996年にはWikiがウォード・カニンガムにより開始。
(*2).1997年には初のSNS「sixdegrees.com」が開始されている。
(*3).たとえばnettimeからは『READ ME!』(1999年)が発刊されたほか、1998年にニューヨークのeyebeamが主催し筆者も参加した3カ月間のネット・コンフェレンスは『Interaction - Artistic Practice in the Network』(2001年)として刊行されている。
(*4).1998年にはGoogleが創業。
(*5).例として、米国の法学者ローレンス・レッシグ『コモンズ―ネット上の所有権強化は技術革新を殺す』(原題:”The Future of Ideas- the Fate of the Commons in a Connected World”, 2001)。レッシグは、フリーソフトウェア財団と自らが設立したクリエイティブ・コモンズの理事を務める。
(*6).「中村と村上」(大阪展)、「飴屋法水&テクノクラート」など、毎号一つの展覧会やアーティストを特集し1992-1995年にかけて17冊を刊行。発起人は、今日の日本美術同人:中ザワヒデキ・原久子・吉田裕子・大岡寛典、編集、発行は、JAPAN ART TODAY編集部/(有)アロアロインターナショナルとなる。 https://www.aloalo.co.jp/products/product-jat.html
(*7).当時慶応大学SFCの学生であった江渡浩一郎は、「ICC ’95 on the web」でテクニカル・ディレクターを務め、アーティストとして作品も提供した。
(*8).筆者が関わった批評を伴うプロジェクトには次のものがある。オンライン:資生堂CyGnet(1998-2003年)、日蘭「PROTOCOLLISION」(2000年)、「Kingdom of Piracy」(2001-2005年)、オンライン+インスタレーション:ノウボティック・リサーチ「IO_DENCIES ー 都市への問い」(キヤノン・アートラボ、1997年)。 yukikoshikata.com

 

『美術評論家連盟会報』21号