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2020年11月14日 公開

田中健三、須田剋太、上前智祐など

中塚宏行

 

 3月末に、大阪府を退職しフリーになり、田中健三展(2020年8月4日~8月30日・豊中市文化芸術センター)のキュレーションを行った。田中は大阪工芸学校で山口正城にバウハウス流のモダニズム教育を受けた。20代初めに就職した大阪三越で、広報誌『みつこし』の表紙デザインや編集に携わり、長谷川三郎の知遇を受け自由美術協会に出品、瀧口修造や井上有一とも一時期交流があった画家である。長谷川の子飼いと自認する。戦後日本美術史で田中の名が登場するのは、「抽象と幻想:非写実絵画をどう理解するか」展(1953~54年、国立近代美術館)の《切》、「日本の抽象絵画1910〜1945」展(1992年、全国6公立美術館で開催)の《絵画1a》の2度で、これまで田中が、本格的に調査・研究されたことはなかった。今回、40~50年代の初期作品を新たに掘り起こし、保存状態の悪かった作品は修復を行い、田中が残したスクラップブックの資料をベースに、その制作活動と、戦後間もない大阪で開催された自由美術展の実態を調査した。その過程で、イサム・ノグチが長谷川三郎に渡したフランツ・クラインの作品複製写真が1951年の関西自由美術展に出品されていることを確認した。また1937~41年にかけて発行された『みつこし』には、京都名刹の茶室の実測調査の連載をはじめ、木谷千種、堀口大學、今和次郎、須田国太郎、土方定一、春山行夫、福田平八郎、野間清六等、さまざまな文化人も登場する。この冊子も大阪発行で、全国的にあまり知られていない。現在、国内にわずかに残された冊子をあらためて調べている。
 また須田剋太の没後30年記念展の監修を行い、東大阪市民美術センターとパラミタミュージアムで開催。関東圏でも開催できればと思っているので、関心のある方は、下記メールにご連絡ください。
そして昨年の本欄でも触れた『上前日記―上前智祐と具体』を昨年末に出版、「具体」と関西戦後美術を語る上での第一級の資料となっている。入手希望者は下記メールにご連絡ください。

 nakatsuka@grace.ocn.ne.jp

 

『美術評論家連盟会報』21号