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2020年11月14日 公開

権力・権威の無様露わにした愛トリ事件

日夏露彦

 

 愛トリ事件が白日の下に曝したものは何だったろう。国際を冠した美術展が3日で中止。電凸による脅しが口実だろうが、なぜ主催者側は死力を尽くして開催を守ろうとしなかったのか。当然の義務を捨ててまで中止に踏み切ったのか。官房長官が直ちに助成金不払いを表明したのにはなぜ抗議しなかったのか。名古屋市長が座り込みまでして中止をアピールしたのを座視したのか、なぜジャーナリストで総監督が厳重注意処分されたのか。電話ひとつで諸権力が国際展をいとも簡単に中止という事態は今日の諸権力や権威の芸術観と芸術政策の実態を語って余りあるだろう。
 芸術の、表現の自由は権力の都合でいかようにも潰せるという、およそ憲法など踏みしだく無様。電凸はその代弁を買って出ているに過ぎない。国際反応が疑問を呈したのも当然なのだ。きっかけとなった朝鮮人少女像、昭和天皇写真入り作品のカタログ一部の燃えた出品作―いずれも5年前東京で開かれた「表現の不自由展」の再現コーナーがターゲットとなったことは明らかで、政治、とくに安倍政権以来急激に高まる反動性がバックにあることは間違いない。政権への忖度、同調がこの忌まわしい事件を導いたと言っていい。過去の加害責任、天皇の戦争責任をあぶり出す、そこに攻撃を仕掛ける、何とも政治的な事件だったのである。これでは治安維持法や特高警察が有為な美術家・文化人を転向や死に追いやった大日本帝国下の文化弾圧に近いと言わざるを得ないだろう。

 幾重にもタブーが制度化も同然の国に美術の国際化は無理という現実にわれわれはたち向かわざるを得ない。総じて批評の動きはなお鈍い。