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2020年11月14日 公開

アーギュメンツを振り返る
2010年代 SNSと手売りを通した批評の実践

長谷川新

 

 『アーギュメンツ』は2015年から2018年にかけて刊行された全3号からなる批評誌である。アーティストの齋藤恵汰、批評家の黒嵜想らによって編まれたアーギュメンツは、その内容もさることながら、「関係者による手売り限定」という特性によって話題を集めた。それは2010年代における最も重要な批評実践のひとつであった。ここでは、黒嵜想氏へのインタビュー〔2020年8月10日実施〕の抄録を掲載する(*1)。

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--批評誌『アーギュメンツ』のきっかけについて教えてください

黒嵜「人生挫折してホームレスをやっているなかで、2013年にゲンロンカフェのイベント(*2)に行って、その時の客席に、齋藤恵汰がいたんだよね。それが初対面。喫煙所で話しかけられて、そのまま次の日の昼までずっと喋って。お互い汚い格好で、齋藤恵汰はバッグの代わりにファミリーマートのレジ袋を使ってて。「僕この人に一生懸命自分の関心と夢を喋ってるけど、意味ないんだろうなあ」って思いながら(笑)。で、その時に雑誌の企画があるよと言われたのが最初。」

-- 『アーギュメンツ#1』の刊行は2015年10月15日ですよね(笑)

黒嵜「うん(笑)。原稿投げてくださいって2014年のどこかで言われたのよね。で、そのとき言われた条件が3つあった。ひとつは、この本が「完全手売り」だということ。各著者に本の在庫が渡されて、それぞれがSNSで購入希望の声を聞いて、それでDMでやりとりして待ち合わせして、闇取引みたいな感じで、直に手渡しして売ると。
1号は総部数が500冊なんだけど、僕は関西全域担当ってことで、僕だけ200冊渡されたの。で、200冊売り切ったんですよ。その頃ちょうどホームレス生活が終わったんだけど、『アーギュメンツ』を欲しいっていう人が、住んでいる「首塚(*3)」へ訪れてくれたんだよね。」

--齋藤さんの条件の後2つは何ですか?

黒嵜「ひとつめは、3号で終わらせる、ということ。ふたつめは、「特集」を設けないこと。齋藤くんはそれを、「雑誌」というメディアで集団の経過をみせる、演劇的なプロジェクトだと表現していて。けれどもこの非特集主義は、齋藤くんの意図とは離れて僕にとっては、「テクスト先行型」の企画・編集が徹底された体制で有意義なものに感じた。」

--タイトルも斎藤さんが?

黒嵜「タイトルは寄稿者の仲山ひふみくんが考えた。複数形でアーギュメンツ。いいタイトルだよね。かつてSNSに期待された言論空間の風景というか。時系列に戻るけど、2号はさらに編集が進まなかった(*4)。でも僕の場合は連載のつもりで書いているから困るわけですよね。そうしたら齋藤恵汰から、じゃあ2号は黒嵜が編集長でいいんじゃない?みたいな話が来て。」

--版元についても伺っていいですか? 最初に予算を作ってくれた人ですよね

黒嵜「岡田真太郎さんという方で、一冊の本を世の中に投げることで、シーンがどういうふうに動くのかを見たいと。2号では、岡田さんと「布団祭」というプロジェクトをしている川口正貴さんも出資してくださった。」

--2号で突如編集長になって、どういう形で進めていきましたか?

黒嵜「『アーギュメンツ』を手渡された人間が「書き手」としてフックアップされるみたいなことをやりたいと思った。書き手と読み手の、手渡しの接触を介した交代劇みたいなものが起きるというのが、実は齋藤恵汰の言っていた、演劇性の最たるものだと思ったんだよね。」

--「首塚」という空間で書き手をまじえ合宿みたいに編集が行われたのも重要だったなと改めて感じてます

黒嵜「編集者と書き手っていう立場ですらないんだよ、首塚で起こっていることって。[例えば執筆者の]米田翼さんの文章を読んで働かせた妄想を米田さん本人にぶつける環境っていうのがあったし。本来だったら編集が介入してはいけないところにまで介入している。書き手とその読み手、という立場がお互いにスイッチし続け合う変な関係性だったんですよ。」

--『アーギュメンツ#2』は発売して最初の一週間で500冊売れちゃったわけで、つまり、僕たちはたくさんの読者と対面したわけだけど、今振り返るとどうですか。僕も強く記憶に残ってて、「新宿駅の喫茶店にいます」ってtwitterに書くとコーヒー飲んでるだけで10人くらい来てくれるんですよね。

黒嵜「『アーギュメンツ#2』はほとんど書き手がそれぞれ在庫を持ちながらランダムに現在地をつぶやいて、その付近にいる希望者は合流して買うっていうまさに「ポケモンGO」の様な売り方だった。2号は初版1,000冊なんだけど、3号が出る前には完売してた。」

--3号(*5)で仲山ひふみさんが共同編集者になったのは?

黒嵜「彼はじつは2号に論考を寄せてくれていたんですけど、4万字くらいあって泣く泣く断ったという経緯がある。その義理もあった。けど、より重要なのは、僕は編集長って名乗り続けるのがすごく嫌だったんよね。
そうそう、だからこれまで『アーギュメンツ』の来歴について語ってきたけど、『アーギュメンツ』っていう本のまとまり自体は非論理的だし、そこは自分が意図して作ったものじゃないっていうのを絶対にはっきりさせておかないと危険な感じがする。連帯の事実それ自体は非論理的だからこそ、可能性もあるし危険性もあるっていうこと。つまり偶然性の表裏にどうやってメスを入れるかってことを問い続けるのが、個人的にはホモソーシャルであることへの対処として重要だと思っていて。」

--『アーギュメンツ』は累計3,000冊くらい売れたわけですよね(*6)。とくに3号は本当に濃厚で。でも一方で危険性も認識してた、と

黒嵜「3号はかなりの完成度だと思ってる。ひふみくんなしではそうならなかったし、すごく意義深い経験だった。でも同時に『アーギュメンツ』は3号で終わってよかったなとも思う。『アーギュメンツ』も、非論理的な蝶番としてだけあるんだっていうのを隠さない作りにしたんだけど、とはいえ、そういう本が三つ続けて出ると何かのコンセプトみたいなものを帯び始めるんだよね。」

--ジェンダーバランスも含めて偏りが定着していくよね

黒嵜「来歴の必然性を大きくしすぎないこと。あるいは、批評の中に眠ってる構造的な男性性みたいなものを一回赤裸々に全部ちゃんと曝け出して、それを一回笑ってもらうってこともすごく重要だと思うんだよね。」

--『アーギュメンツ』は黒嵜さんの20代後半を捧げた仕事だったと思うんですが、振り返って一番思うことはなんですか。

黒嵜「馬鹿みたいな言い方になるけど、人は人に影響を受けていいんだって思えたことかな。そして、人やものに影響を受けることは、じつはとても難しく、その影響を自覚して表現しきることはもっと難しい。その痕跡を誌面レベルで残せた、というのがアーギュメンツのもっとも大きな功績かもしれない。僕自身、今は、「影響を受けて変わる」ってことを隠さないような文体を、探してますね(*7)。」

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(*1). 文字起こしは「ぼくらとみんなは生きている」(大川原暢人、川又健士、迫竜樹、鷲尾怜)にお願いした。記して感謝する。またインタビュー全文は別媒体にて公開予定。
(*2). 12月28日 黒瀬陽平×東浩紀 偶然を必然に変える力――『情報社会の情念』刊行記念!
(*3). 黒嵜の家の俗称。
(*4). 発売日は2017年の5月1日。
(*5). 2018年6月18日刊行。
(*6). 最終的に1号が1,000冊、2号が1,500冊、3号が1,500冊刊行している。
(*7).これについては、福尾匠と行っているメディア「ひるにおきるさる」(https://note.com/kurosoo)にて継続されている。

 

『美術評論家連盟会報』21号