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2020年11月14日 公開

地元に生かされた画家夫婦を再認識

藤田一人

 

 昨年11月に刊行された星野眞吾(1923-97年)と高畑郁子(1929年- )の画集『月と太陽の二重奏』に二人の評論を書いた。星野は人拓で知られる前衛日本画の先駆者。高畑は強烈な色彩で生きる活力を湛え続ける創画会会員。絵の傾向は真逆だが、二人は鴛鴦日本画家夫婦として知られた。今回の画集は高畑の自費で刊行された私家版だが、掲載作品、文献資料等も充実した内容。高畑の意志で販売はせずに、全国の美術館、図書館、そして関係者、友人たちに進呈された。
 私は星野・高畑夫妻とは縁があり、何度も文章にしてきた。が、今一度、関係者の話を聞き、資料を読み返すなかで、改めて、二人の真価を再認識することになった。それは、二人が地元・豊橋に生かされ、地元文化を育む立役者となってきたということだ。
 星野は豊橋に生まれ、高畑は生後10か月で母の実家のあった豊橋に移住。そんな二人が出会ったのは、中村正義に誘われて豊橋の中日美術教室の立ち上げに参加した際。そして、中村等が抜けた後の教室を二人で引き継いで、結婚に至る。教室は歳月とともに拡大。最盛期には、子供400人、大人200人もの生徒を抱え、複数の講師も雇って休みなし。さらに、保育園や幼稚園などにも出講した。豊橋という小さい都市では、絵画、特に日本画を学ぶとなると、多くが二人の教室をまず思い浮かべたという。特に、高度経済成長期以降、豊橋でも美術系大学への進学を希望する生徒も多くなり、その多くが星野眞吾にデッサン等を学び、全国の美術系大学に進学。そして彼らが郷里に戻ると、地元の中学、高校の美術教師や豊橋市美術博物館の学芸員等になった。
 こうした、星野夫妻の地元への思いの集大成となったのが、「トリエンナーレ豊橋 星野眞吾賞展」。星野が美術館の作品購入で得た1憶円を「若い芸術家の発掘と育成」のためにと豊橋市に寄附し、高畑の寄附も加えて、三年毎開催の日本画コンクールが創設。その後も、高畑が多額の寄附をして、同展の存続に尽力している。
芸術なるものは個々が生きる土地に育まれる。星野・高畑夫婦の生き方は、それを象徴する。

 

『美術評論家連盟会報』21号