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2020年11月14日 公開

2019~2020 私のこの3点

 

大倉宏
「コレクション展Ⅰ」
2020年4月25日-6月7日
(4月25日-5月11日 新型コロナウイルス感染拡大のため臨時休館)
新潟市美術館
近年の新潟市美の常設展がいい。年3回テーマを設定して所蔵品を紹介している。この展示のテーマは「春から初夏を彩る」。テーマを媒介に既存の評価のヒエラルキーに関わりなく選ばれ自由にとり合わされて展示されると、見慣れた絵や立体に新しい発見がある。

「ふるさと再考-田中冬二と3人の作家たち-」
2020年4月18日-8月30日
(4月18日-5月15日 新型コロナウイルス感染拡大のため臨時休館)
黒部市美術館
黒部を愛し、いくつもの詩をのこした田中冬二(1894-1980)を軸に富山の現代の表現者3人を紹介する展示。企画者という個人と、出品作家3人の感情の交流が感じられ、心地よいさわやかさと深みのある空間になっていた。

新潟県阿賀野市「Y&Y GARDEN」と禅寺の頼勝寺の漆山昌志の石彫
阿賀野市の名産ヤスダヨーグルトの販売コーナー「Y&Y GARDEN」には漆山の石彫作品約10点が巧みに配置され、近くの禅寺頼勝寺に釈迦像と十人の弟子、涅槃図のレリーフが設置された。石工で石彫家である作者の個性と職人感覚がやわらかく深く語る場所を作りだしている。

 

小川敦生
「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」
2019年11月1日-2020年2月2日
東京国立近代美術館
異界への入り口としての〝 窓〟にスポットを当て、マティスやロスコの絵画、奈良原一高の写真、ロバコフスキの映像など多様な表現の作品を一堂に会することによって窓が美術の中で果たしてきた役割をあぶり出した。

「和巧絶佳展 令和時代の超工芸」
2020年7月18日-9月22日
パナソニック汐留美術館
伝統工芸の技を継承しながらも従来とはまったく異なった新しい表現を見せる舘鼻則孝、深堀隆介、見附正康ら12人の作家の作品を集め、現代の中で伝統がどういう形で生きうるのかという可能性を呈示した。

「内藤コレクション展Ⅲ「写本彩飾の精華 天に捧ぐ歌、神の理」」
2020年9月8日-10月18日
国立西洋美術館 新館 版画素描展示室
医師の内藤裕史氏が2016年に国立西洋美術館に寄贈した中世の彩飾写本のリーフのコレクションの中で、とりわけ美しい聖歌の楽譜を多数集めて額装されたものを展示し、絵画に匹敵する美を見せてくれた。

 

小勝禮子
「山沢栄子 私の現代」
2019年11月12日-2020年1月26日
東京都写真美術館
(2019年5月25日-7月28日 西宮市大谷記念美術館)
西宮市大谷記念美術館、池上司氏の企画だが、東京に巡回した意義は大きい。女性写真家のパイオニア山沢栄子の全貌を、作家自身が企画出版した写真集という印刷物で展開。オリジナル・プリントと印刷、商業写真と芸術写真、女性と写真など、複数の問題を提起。

「地球・爆──10人の画家による大共作展」
2019年11月1日-12月15日
愛知県美術館
岡本信治郎を中心に10人の画家による共作の反・戦争絵画。11組からなる約150点の絵画パネルで構成され、全長は240メ-トルを超える。2001年9月11日以後発想し2003年から開始されたこの協働制作の完成も奇跡なら、全作品を美術館の空間に展示できたことも奇跡。

「彼女たちは歌う Listen to Her Song」
2020年8月18日-9月6日
東京藝術大学大学美術館陳列館
コロナ禍での現況を逆手に取ったオンライン・トークや、出品作家同士の対談のウェブマガジンでの配信など、リアル展示と合わせた複合的な発信で深みを増した。11人の若手中心のア-ティストたちの、「女性」だけではない様々な困難が現前する。

 

島敦彦
芸術批評誌『REAR』No.44 特集「Y/Our Statement」[私(たち)の声]
発行:リア制作室、2020年3月31日
あいちトリエンナーレ2019をめぐる特集号。林道郎と五十嵐太郎との対談に始まり、批評家、作家、大学教員、ジャーナリスト、建築家、ボランティア、鑑賞者などそれぞれの視点が集約され、読み応えがあった。

「廣瀬智央 地球はレモンのように青い」
2020年6月1日-7月26日
ア-ツ前橋
ミラノを拠点に活動を続ける廣瀬智央の大規模な個展。豆やパスタなど食材による作品、母子生活支援施設とのプロジェクト、レモンを用いた物質の循環に関わる試みなど、豊かさとは何なのかを根源的、詩的に問うていた。

「彼女たちは歌う Listen to Her Song」
2020年8月18日-9月6日
東京藝術大学大学美術館陳列館
鴻池朋子、山城知佳子、金仁淑、スプツニ子らから、同大大学院生まで11名の女性作家による企画展。性差、世代、国家、環境における価値観の分断、異質なものとの対話と共存、困難な諸課題に挑んだ内容であった。

 

高橋綾子
『絵の幸福 シタラトモアキ論』
発行:みすず書房 、2020年9月16日
『あたらしい美学をつくる』(2011年)の著者である美学研究者・秋庭史典による新刊。画家・設楽知昭をモチーフに、「生きること」と「絵の幸せ」を丹念に問いかける。美しい装丁と豊富な挿画によって、ひとつの幸福な本が生まれた。

『水谷勇夫と舞踏:「蟲びらき」をひらく』
発行:樹林社 、2020年8月7日
愛知県美術館での小企画「水谷勇夫と舞踏」にあわせて出版。土方巽追悼の意を込めた大野一雄の舞踏公演の舞台美術を手がけた水谷勇夫は、多岐にわたる活動と交友関係で知られる。その前衛の足跡へのさらなる調査と検証が期待される。

『こどもと大人のてつがくじかん てつがくするとはどういうことか?』
発行:LANDSCHAFT、2020年7月31日
愛知県犬山市で創刊された「犬てつ叢書」の第一弾。犬てつ主宰のミナタニアキを中心に2017年に始動した「てつがく対話」の記録である。「わからなさを引き受けながらともに考える」という真摯な態度が、静かに響いてくる。

 

千葉成夫
戸谷成雄「視線体」
2019年9月21日-10月19日
シュウゴアーツ
「見えない」ものをも捉える「視線」にこだわり一貫して「見えない彫刻」を模索してきた。「見えないもの」、それはそこに何も無い「空間という広がり」に支えられる。彫刻をそういう地平で展開すること。

森村泰昌の新作映像作品
《エゴオブスクラ東京2020-さまよえるニッポンの私》
(2020年、カラー・53分)
「いわばフェイク」。だからこそ面白いという見方もあれば、それを逸脱する点でこそ面白いという見方もある。これは「三島由紀夫事件」(等)に「事寄せ」た、美術の現況への極めてまっとうな警鐘で(も)ある。

NHK・ETV特集「”焼き場に立つ少年”をさがして」
2020年8月8日放映
長崎原爆2か月後、米軍写真家ジョー・オダネルが撮った、死んだ弟を背負い焼き場で順番を待つ少年。このドキュメンタリーによって場所・写真の左右反転・少年の鼻と眼に被爆による出血の跡などがほぼ特定された。

 

勅使河原純
「天覧美術」
2020年6月2日-27日
eitoeiko
現代における天皇のイメージ、およびその図像化が内包するさまざまな問題を、各作家がそれぞれの立場から独創的な手法で炙り出してくれた。木村了子《菊図》と岡本光博の多角的なアプロ-チが、発想・作品化ともに秀逸。

「Chim↑Pom 「May, 2020, Tokyo / A Drunk Pandemic」」
2020年6月27日-7月22日
ANOMARY
青く塗られたカンヴァスに、白い文字で「TOKYO 2020」と大書された看板らしきものからは、突然東京オリンピックを失い、新型コロナウイルスのパンデミックのなかに溶解しはじめた、メトロポリスの空虚が漂っていた。

バンクシー作品が東京に出現したこと。
港区日の出埠頭・防潮扉下部(展示会場:クル-ズ客船待合所「シンフォニー」)
バンクシーがどんどん存在感を喪いつつある日本を、それでも忘れずにいてくれたことが嬉しい。彼/彼女ならば武力で人を威嚇せず、己れの正義だけを声高に主張もしない、いまの日本の苦しさを、きっと分かってくれる。

 

中塚宏行
「おかえり 美しき明治」
2019年9月14日-12月1日
府中市美術館
昨年の9月からの開催であるが、本欄では取り上げられておらず、12月までの開催で、日本の近代美術が少なかったので、この展覧会を入れた。星野画廊で感銘を受けた笠木治郎吉の作品13点に、あらためて注目している。

「art trip vol.03 in number, new world / 四海の数」
2019年12月7日-2020年2月9日
芦屋市美術博物館
今井祝雄《デイリーポートレイト》他、田中敦子、関根美夫《そろばん》、久門剛史(音響、電球)、津田道子(映像)、菅井汲、村上三郎、白髪一雄、中村祐太、長谷川三郎《眼横鼻直》などが数をキーワードに集合。

「熱い絵画 大橋コレクションに見る戦後日本美術の力」
2020年4月18日-7月5日
奈良県立美術館
桂ゆきの1955年の小品《亀》《風》、草間彌生の54年の小品《作品》に心ひかれた。また日本画の革新を唱えた、岩崎巴人、上田臥牛、長崎莫人、湯田寛の作品も光っており、須田剋太にも未見の佳作があり収穫があった。

 

早見 堯
「馬場健太郎「記憶と忘却のあいだ」」
2019年9月14日-10月26日
鎌倉画廊
馬場の20年間の作家活動の集大成。塗り重ねられた絵具や蜜蝋などの層が見る者を包みこむ。天空から輝く光と大地から漂う空気の中にいる気分になる。イリュージョンや空間とは異なるこころの風景が紡ぎだされる。

「シェル美術賞2019 レジデンス支援プログラム2018 レジデント展示」
ヴェルサイユシリーズ5点 大城夏紀
2019年12月11日-23日
国立新美術館
テ-マの調査・解釈→立体・平面・記号へ変換→色彩がうみだす漂う空気感により壁や床に設置された各パーツが響きあう→見る者を身体的な経験に巻きこむ。色・形・材料などのミディアムとテーマとの協奏が斬新。

「ABST 市川和英・大塚新太郎・牛膓達夫・杣木浩一・髙木修・前田一澄」
2020年1月21日-2月1日
人形町ヴィジョンズ
市川、杣木、前田らは二次元/三次元、正面性/側面性に、大塚は光と空気としての物体に、牛膓は組み合わせ彫刻が開拓した虚空間に、髙木は空間と身体の関わりに、それぞれ関心を寄せて抽象の可能性を切り開きつづける。

 

藤嶋俊會
コロナ禍と「澄川喜一 そりとむくり」
2020年2月15日-5月14日
(2月29日より臨時休館ののち、5月1日閉幕)
横浜美術館
コロナ禍は世界中の展覧会を狂わせた。澄川喜一展も上記の会期だったが、約2週間後に臨時休館となり、そのまま再開することなく、5月1日中止となった。記者内覧会を見ていたので、展覧会の概要はつかんでいたが、彫刻家にとって実に残念な結果に終わった。

川崎市市民ミュージアムの浸水被害
昨年10月12日関東一円を襲った台風19号によって、川崎市中原区等々力の川崎市市民ミュージアムが浸水し、地下にある収蔵庫内の収蔵資料が被害を蒙った。この施設は美術館だけでなく総合博物館なので美術作品だけで無く、古文書や民具なども被害を受けた。現在ミュージアムの在り方論まで出てきている。

「長沢明展オワリノナイフーケイ」
2020年2月8日-4月12日
横須賀美術館
作家自身を思わせる様々な表情の虎をテーマに描くなど日本画をベ-スにしているが、ミックスドメディアによる平面や立体作品をも手がける。特に今回の個展では「メメントの森」と題する新作が圧巻で、和紙にほとんど墨一色で一部屋を覆い尽くす。死と再生の物語である。

 

藤田一人
東京国立近代美術館の新収蔵お披露目「鏑木清方 幻の《築地明石町》特別公開」(2019年11月1日-12月15日)の特別料金設定
同館が購入した、鏑木清方の名作《築地明石町》を含む三部作のお披露目として、同館所蔵の清方作品を一挙公開した特別展示。本来なら常設展示の一環だが、特別料金を取って企画展扱いに。そこに経済効果最優先の昨今の文化行政を垣間見た。

美術館における日時指定予約制の波及
1月にア-ティゾン美術館が、混雑解消を目的にウェブによる日時指定予約制を採用。ウェブに不慣れな層には不満も多かったが、新型コロナ対策として他の美術館も次々に採用。ただ、それにより入場者数と収益の減少は免れず、入館料の値上げも必至?

フジヰ画廊の閉廊
コロナ禍による「緊急事態宣言」下の4月30日、フジヰ画廊が閉廊した。先代が東京美術倶楽部社長、東京美術商協同組合理事長等を務め、日本の美術市場を牽引してきた有力画廊の終焉は、底抜け状況といわれる国内の美術市場の現状を印象付ける。

 

松本透
「青木野枝 霧と鉄と山と」
2019年12月14日-2020年3月1日
府中市美術館
長崎・霧島から府中へ。連鎖式個展に向けて作られた巨大な新作3点などが最終会場に集結した。小さな手仕事(おもに熔断・熔接)の積み重ねによるそれらは、威圧感・重圧感をいささかも持たず、わたしたちの視線を自由な飛翔と遊戯へと誘った。

「wall to wall Noriyuki Haraguchi」
2020年3月7日-5月23日
√K Contemporary
オイル・プールから、建物の躯体をフレームにした懸架式絵画や、骨材を剥き出しにした金属製の立体まで、故・原口典之がやりたいことを皆やったような個展。コラージュや絵画の小品に至るまで、かれは寸分の弛みも緩みも見せなかった。

「ふたつのまどか-コレクション×5人の作家たち」
2020年6月16日-11月29日
DIC川村記念美術館
福田尚代・野口里佳・渡辺信子・杉戸洋・さわひらきが選んだコーネル・ミロ・ケリー・ベル・トゥオンブリー。選者となる日本人作家5人の選定が肝腎だが、結果的に、発見や創見に富んだ、みごとな5×5のアンサンブルとなった。

 

水沢勉
小金沢健人《433 is 273 for silent prayer》(2020年)
ジョン・ケージの代表作の本歌取り。沈黙(正確には微小なノイズ)を枠取り、その沈黙全体を雄弁なプロテストに転化する離れ業。林洋子キュレーションの「Domani plus Online 2020:Living on the Eve(前夜を生きる)」の参加作品としてオンラインで期間限定公開。

宮崎郁子 等身大の球体関節人形《Wally》の制作プロセスをSNSで公開。
モデルはEgon Schieleの前半生の恋人であった実在の女性Wally Neuzil。彼女が第一次世界大戦末期、野戦病院で医療従事者として23歳で早世したという生のかたちに、それを等身大に人形化することで、他の孤独なひとびとの姿形への連想を、誘いながら寄り添う試み。

戸次祥子 木口木版画集《Cloud Chamber》(2020年)
福島県浜通りの海岸で拾った自然石をモチーフにその外形を木口木版によって精密に表現し、それらを摺った紙片を綴り合わせて、書物のかたちに編む。須賀川のCCGAで発表。エンボスや見返しなどにも版画家の創意を惜しみなく注ぐ。一冊だけが完成している。いままさに編みあげてゆく作業中である。タイトルは、被曝(もしくはまだ終わっていない3.11)を仄めかす。そしてそれに気づくと影などに木口木版であればこそ可能な厳しくも豊かな表情が無数の名もなき石にさりげなく添えられていることがはっきりと前景化される。

いずれもコロナ禍中に「vielsam(無数の孤独)」を感じさせてくれる作品や作品行為。

 

山内舞子
Cristina Lucas《Unending Lightning》
「想起の力で未来を:メタル・サイレンス 2019」(旧博物館動物園駅)に出品された映像インスタレーション。100年以上の空爆の歴史が、数字や文字、地図、記録写真で示される。規則的なスライド送りが「人の死」に対する鑑賞者の感覚を変質させていくさまも体感。

「北脇昇 一粒の種に宇宙を視る」
2020年2月11日-10月25日
東京国立近代美術館
シュルレアリスムの影響の強い作風とは異なる、直線や幾何学的形態が重要な構成要素として機能する作品群を紹介。軽やかさと、古今東西の自然科学に由来する複雑な情報の共存、そして昭和10年代という制作時期に驚かされた。

「Exposition virtuelle le coronavirus vu par les enfants」
2020年6月1日
Galerie Le Paon
美術館の数が限られている国では画廊がアートセンター的な役割を担うことが少なくない。2月に訪ねたアルジェリアの同廊もそのひとつで、伝統工芸によるグッズ制作や教育プログラムなどを展開。本展はコロナ禍に際して企画されたもの。

 

山本和弘
ハンス・アビング著『The Changing Social Economy of Art: Are the Arts Becoming Less Exclusive?』の刊行
発行、PalgraveMacmillan、2020年10月2日
芸術が「再び特別なものではなくなり」つつある現状を社会経済学的に検証。美術が18世紀に発明された美的体験のシステムとしてではなく、政治と経済と等価な社会における隠蔽性の内破システムとしての可能性をも示唆。

コロナ禍以降の不動産としての美術館の変容
2020年3月以降
世界
19世紀的な体験集約型遊園地から時空間不問の情報集約型オンラインへの美術館の不可避な転換は、作品所有者の卓越的誇示装置から大衆の自由選好による民主的議論の場への解放可能性を21世紀のバスチーユ牢獄として問いかける。

「森村泰昌:エゴオブスクラ東京2020−さまよえるニッポンの私」
2020年1月25日-7月12日
原美術館
第一生命ビルから東大駒場900番教室への輪廻転生は、国家と個人の関係を、対峙構造としてではなく、「エゴオブスクラ(闇茶箱?)」という素朴な光学装置の中で単フレームがレイヤー的に遁走する冪乗の構造として可視化した。

山脇一夫
「鏑木清方 幻の《築地明石町》特別公開」
2019年11月1日-12月25日
東京国立近代美術館
清方は、近代化、西洋化が進む中で江戸や江戸の風情が残る明治への郷愁をたいせつにした日本の近代美術における「反近代」を代表する一人である。ぜひ実物を見たいと思っていた《築地明石町》が目にできたばかりでなく、三部作の他の2点を含む計16点の贅沢な展示であった。

京都市京セラ美術館のリニューアルオープンと「杉本博司 瑠璃の浄土」
2020年5月26日-10月4日
(新型コロナウイルス感染拡大のため初日を3月21日から上記に変更)
京都市京セラ美術館
リニューアルオープンした京都市京セラ美術館は、改装という域を超えて、前の美術館のイメージを一掃する新美術館となった。見事な変身に拍手喝采。新しく増設された展示室「東山キューブ」で開かれた杉本博司の個展も好企画であった。

「ジャム・セッション 石橋財団コレクションx鴻池朋子 鴻池朋子 ちゅうがえり」
アーティゾン美術館
2020年6月23日-10月25日
(新型コロナウイルス感染拡大のため初日を4月18日から上記に変更)
人間を自然の一部として考え、土俗性や野性を剥き出しにその彼方に神性を見出す鴻池の作品に強く惹かれるものがあり、心動かされた。「ジャム・セッション」などとはせず、個展として開催した方がインパクトがあったと思う。

 

『美術評論家連盟会報』21号