2018~2019 私のこの3点

2019年11月23日 公開

五十嵐卓
村上隆の最近の仕事
横浜、十和田に続いた熊本で「バブルラップ」と題し大量の美術・工芸収集品でバブル期アートを総括した(2018年12月15日―2019年3月3日、熊本市現代美術館)。その後、香港元警察署美術館で、それらに加えて村上作品の圧巻展示でデモ喧しい中で「表現の自由」を見せつけた(「MURAKAMI vs MURAKAMI」、2019年6月1日―9月1日、大館當代美術館(香港))。

「描く、そして現れる-画家が彫刻を作るとき」
2019年9月14日―12月8日
DIC川村記念美術館
20世紀美術史の中、画家の創る平面作品と立体作品との往還を示すことで、画家が作る彫刻作品の存在理由、制作動機、創作方法の真相を、類例となる出品作品によって詳らかにすることに成功している。

遠藤突無也著『パリの「赤いバラ」といわれた女』
(さくら舎、2019年8月刊)
東京国立近代美術館新収蔵品となった鏑木清方《築地明石町》のモデル江木万世の孫でパリで活躍した国際女優谷洋子(1928-99)の生涯を日仏の美術・映像関係者からの調査をもとに執筆した大部の評伝。

 

大倉宏
「村の肖像 山と川から見た「にいがた」」
2019 1月19日ー3月21日
新潟県立歴史博物館
新潟大学地域映像アーカイブセンターが蓄積した映像から、時代と風土に密着した写真を、作家別ではない構成で組み上げた展示が刺激的だった。 表現の個を越える部分に注意が向く。

ホー・ツーニェン《旅館アポリア》(あいちトリエンナーレ2019 )
2019年8月1日ー10月14日
喜楽亭
会場となった喜楽亭という割烹旅館の記憶を読み解きながら、小津安二郎の映像と同時代の関係を臨場感に満ちた手法で浮き上がらせた。編集と構成のバランス感覚が秀逸で引き込まれた。

「書だ!石川九揚展」
2019年8月3日ー10月6日
古川美術館・爲三郎記念館
書という厚みのある文化に根を下ろして生まれた現代の「表現」だと実感。特に傾斜地に作られた数奇屋住宅である爲三郎記念館の展示が、会場の個性とともに印象的に残った。

 

加須屋明子
「しなやかな闘い ポーランド女性作家と映像 1970年代から現在へ」
2019年8月14日―10月14日
東京都写真美術館
ポーランドの女性作家に焦点を当て、1970年代から現代までを通覧できる貴重な展覧会。日本には初紹介の作家も多く、政治的社会的制約の中で作家たちがいかに闘い、対応しているかがよりよく理解でき、また各作品の質も高く、多層的に読むことができる。

「塩田千春 魂がふるえる」
2019年6月20日―10月27日
森美術館
1993年の初個展以来、世界各国で活躍の続く塩田の世界が総覧できる、国内初の大規模展。圧巻の新作インスタレーションをはじめ、立体、素描、舞台芸術、さらに大学時代の平面作品や幼少時の絵画など、多面的な構成で広がりと深みを見せた。

「宮永愛子:漕法」
2019年7月1日―9月1日
高松市美術館
常に変化を続ける世界を見つめる宮永の四国での初個展。瀬戸内海を行き交う船や島、海、空と、何億年という歳月が思われた。讃岐名石のサヌカイトによるインスタレーションは力強く、ナフタリンやガラスの儚い繊細さ、魚網に光る塩の結晶と好対照をなす。

 

小勝禮子
「闇に刻む光 アジアの木版画運動1930s—2010s」
2018年11月23日-2019年1月20日 福岡アジア美術館
2019年2月2日-3月24日 アーツ前橋
木版画という切り口で、1930年代から現代におけるアジアの社会を通観する視野の広さに感銘。「木版画運動」という下からの運動により、民衆のエネルギーを鮮明に浮かび上がらせた力業。その膨大な版画の質量に圧倒される。

「gone girl 村上早展」
2019年1月12日-3月17日
サントミューゼ 上田市立美術館
銅版画という技法を使って、まさに銅板に線を刻みながら、自身の心の傷や痛みを刻印し、不条理な心象風景を出現させる。2011年に版画を始めてからわずか8年の制作とは思えない、濃密で悪夢のような世界が展開されている。

「イケムラレイコ 土と星 Our Planet」
2019年1月18日-4月1日
国立新美術館
1970年代にスペインにわたってより、スイスを経てドイツを拠点に活躍を続けるイケムラレイコの40年以上にわたる創作の全貌を、国立新美術館の広大な展示室に展開。旧作から新作までその緊張感は毫も途切れることがない。

 

谷新
1970年代美術のアーカイヴ化の動き
金子智太郎氏(美学研究者)による「日本美術サウンドアーカイヴ」の地道な調査・研究・発表の作業が「堀浩哉《Reading-Affair》1977年」(2018年1月7日、三鷹SCOOL)などから個々の作家主体に継続されている。今年は「新里陽一《帝王切開》1973年」(2019年7月21日、3331 Arts Chiyoda)などが行われ、記憶から消えかかった音声などのイヴェント資料を掘り起こした。

「北山善夫展『事件』」
2019年5月18日ー6月23日
MEM
《事件》は2006~2017年の十年をかけて制作された。幅4.35mの和紙に製図用ペン先で水平に何重にも積み重ねられた直径1mmほどの円の無数の並置による。作家はそれをビッグバンの真空のゆらぎになぞらえる。

「視線体 戸谷成雄」
2019年9月21日ー10月19日
シュウゴアーツ
作家は彫刻家だがつねに視線の問題を重視してきた。初期の竹藪で行った視線と身体性をめぐる彫刻としての問題意識をふたたび俎上に乗せた。

 

千葉成夫
「辰野登恵子 オン・ペーパーズ A Retrospective 1969-2012」
2018年11月14日ー2019年1月20日
埼玉県立近代美術館
(名古屋市美術館に巡回、2月16日ー3月31日)
「絵画以降」の時代の中で、それでも「絵画」を試みた最初の世代の一人。興味深い試行錯誤の果てに、更に自身を動かして、可能性を感じさせる試みを遺しながら、「3・11」の混乱も生々しいなか、病に倒れた。

「『絵と、 』vol.4 中村一美」
2019年1月26日ー3月23日
αM
「絵画以降の絵画」の時代の中で、一番正統的な試みを続ける画家の一人の展示。「3・11」で現実と社会の崩壊・破壊が前面に全面化しつつある今、絵画はどのように可能か、という根源的な問いに立とうとする意志。

ユニット「堀浩哉+堀えりぜ」によるパフォーマンス「記憶するために-わたしはだれ?」
2019年9月15日
原爆の図 丸木美術館
普通の人々を顧みなくなったこの国では、その結果としていじめ・虐待・災害・様々な差別等を通して、普通の人々が死に、姿を消し、存在できなくなっている。そういう人々に向けて静かに呼びかけ続けるパフォーマンス。

 

中塚宏行
「吉田稔郎:作品1953-1963」
2018年11月3日ー12月22日
ファーガス・マカフリー東京
「具体」の事務局を務めていた吉田の作品は、具体展の中ではいつも脇役で、「泡の作品」以外では注目されることが少なく、個展も少なかったが、こうして作品をまとめて見ると、きわめて地味だがすぐれた作品である。

「戦後の浪華写真倶楽部―津田洋甫、関口昭介、酒井平八郎をめぐって」
2019年3月2日ー24日
MEM
戦前の「浪華写真倶楽部」は、安井仲治や小石清、花和銀吾など輩出し、新興写真の牙城として注目されているが、戦後の「浪華」にもまだまだ見過ごされている作家、作品があるということを認識させ、それらを掘り起こした展覧会。

「水と美術 feat. 坂井淑恵」
2019年7月9日ー9月8日
和歌山県立近代美術館
2000年頃に、新世代の可愛らしい具象絵画の一人として注目された坂井淑恵の近作に焦点をあて、地元の作家として紹介。毎年、大阪市内のギャラリーZEROでも発表しているが、大きな作品をまとめてみる貴重な機会であった。

 

早見堯
藤井博からの展開=石井友人「享楽平面」CAPSULE+高石晃「下降庭園」clinic+榎倉康二/高山登/藤井博「不定領域」Space23℃ 各2019年5月10日ー6月9日+同時刊行書籍「わたしの穴 21世紀の瘡蓋 藤井博」
藤井の肉・鏡と「スペース戸塚`70」の「穴」から日本現代美術を批判的に巻き戻し再展開する。言語化されて崩壊する夢に似た表象の不条理を不条理のまま摘出。アリスの兎穴や鏡、芭蕉の古池も鏡&穴だから。

あいちトリエンナーレ 「表現の不自由展、その後」展中止に誘引された論考=①岡崎乾二郎「聴こえない旋律を聴く」webちくま2019年8月19日 ②小田原のどか「彫刻とはなにか -あいちトリエンナーレ2019が示した分断を巡って」群像2019年10月号
「作品と鑑賞者との雑音のない対話」(志田陽子「世界」10月号)の可能性を表現の社会・政治的条件とは別の観点から考察。不在や欠如から生まれる想像力に見ることの可能性を摘出して対話と共感の道を示唆している。

馬場恵「湯本家薬草標本をめぐる作品」
(「特別展 科学と芸術をつなぐ植物標本」の一部)
2019年9月16日ー10月4日
首都大学東京 南大沢キャンパス 牧野標本館別館・TMUギャラリー
群馬県湯本家薬草標本を元に作品化。昨年はアーツ前橋やベルリンのフンボルト大学科学図書館、今年はベネチアでの環境問題企画展等で展示。植物「環世界」的視野で人間中心の視線をずらし人間界に反省的な目を注ぐ。

 

樋口昌樹
「ドレス・コード?―着る人たちのゲーム」
2019年8月9日ー10月14日
京都国立近代美術館
ファッションを造形として捉えるのではなく、ファッションを通して「着る人」=「人間」に迫る、社会学的アプローチがユニークな展覧会。中でもハンス・エイケルブームと都築響一の文化人類学的な作品が秀逸であった。

「塩田千春:魂がふるえる」
2019年6月20日ー10月27日
森美術館
廃船などの遺物を用いたインスタレーションの禍々しいほどの迫力が、素材がつくりものに変わった途端、消え失せてしまう。遺物が放つ、アウラのようなものがなくなってしまうからなのか。素材の重要性について深く考えさせられた。

「イケムラレイコ 土と星 Our Planet」
2019年1月18日-4月1日
国立新美術館
イケムラ レイコの展覧会は、作品はもちろんのこと、ご主人による展示構成がいつも素晴らしい。ひとつひとつの部屋が劇場空間のようになっていて、作品と空間が分かちがたく結びついている。二人展と呼びたいくらいだ。

 

藤嶋俊會
砂澤ビッキウィーク
2019年5月21日ー25日
札幌文化芸術交流センターSCARTSスタジオ
今年は砂澤ビッキ没後30年ということで札幌市内を中心に展覧会や関連企画が実施された。特に上記センターでは、「写真展示」のほか「連続トーク」と「関連映像上映」を開催、作家に関わる貴重な映像資料や、証言が発表され、これらは記録として残ることになった。

「原三溪の美術 伝説の大コレクション」
2019年7月13日ー9月1日
横浜美術館
歴史にもしもは禁句だが、関東大震災がなければ充実したコレクションを核にした美術館が横浜に実現していたであろうことを思わせる。原三溪という稀有の人物を介して日本の近代化が見事な花を開かせたともいえる。

「表現の不自由展・その後」(あいちトリエンナーレ2019)
2019年8月1日ー10月14日
愛知芸術文化センター
芸術の領域での表現の自由の幅はもっとゆるい(しかも強い)ものと思っていたが、案外弱い(狭い、脆い)ことに気が付いた。誰かの表現が、その人の存在であること、それを認めてお互いであること、基本的な精神が身についていない。

 

藤田一人
「あいちトリエンナーレ2019」における「表現の不自由展・その後」を巡る騒動
「表現の自由」なる問題が、実際の展示作品や展覧会の意図とは別次元で社会問題としてエスカレート。国際現代芸術祭自体が、事件化することで、肝心の美術作品が示す問題提起にはほとんど関心が及ばず、一種の炎上イベントと化したことは残念。

東京湾で見つかった「バンクシー」(?)を巡る東京都の姿勢
上記で示された政治家の芸術表現への不寛容。一方で、国際的人気の路上芸術家「バンクシー」に関しては実に寛容。都知事自ら公共の場の落書を、真偽も定まらぬのに国際的アートだからと切り取って保管し、都庁舎で一般公開も。一体、日本の公共的文化観とは?

「ムンク展ー共鳴する魂の叫び」(2018月10月27日ー2019年1月20日、 東京都美術館)とポケモンカードによるコラボ商品のプレミア
「ムンク展」とポケモンカードのコラボ商品は、展覧会が始まる前から、ネットオークション等でプレミアが付くという噂が立ち、ピカチュウ・グッツを買うためにムンク展に行くというような話を方々で聞いた。昨今の大型美術展の盛況の意味が問われる。

 

松本透
「辰野登恵子 オン・ペーパーズ A Retrospective 1969-2012」
2018年11月14日ー2019年1月20日
埼玉県立近代美術館
(名古屋市美術館に巡回、2月16日ー3月31日)
70年代までの、これまで見たことのないタイプの紙の作品が、一挙に日の目をみた。彼女の絵画作品の見方を一変させるようなものではないだろうが、一から見直さなくてはならなくなったことは確かだ。

「千田泰広展」
2019年4月27日-6月2日
安曇野市豊科近代美術館
屈指のライト・アーティストによる、小部屋に区切られた回廊式の建物をフルに使った大掛かりな個展。光をめぐる思索と検証、創意と試行のいちいちに、頭の芯、身体の芯がしびれた。

「内田あぐり―化身、あるいは残丘」
2019年5月20日-6月16日
武蔵野美術大学美術館
内田の大画面のもつ無類のスピード感に当てられてしまった。屁理屈を一つ――彼女の画面はいくつもの構造を蔵しており、それら一つひとつの世界(構造)のあいだに、(電子ならぬ)世界の(光速の)遷移が起こっているのである。

 

水沢勉
「モダン・ウーマン―フィンランド美術を彩った女性芸術家たち」
2019年6月18日ー9月23日
国立西洋美術館
国立西洋美術館新館展示室を使った中規模の企画展。レンダーは、フィランドの国立アテネウム美術館のみ。鳴り物入りの大型企画展の正反対の組織であり、フィンランドの近代女性美術家たちの作品という地味な内容である。しかし、だからこそ丁寧な作品選定が行われている。この数年間の国立西洋美術館のもっとも展覧会史的に意義深い展覧会であろう。

「イケムラレイコ 土と星 Our Planet」
2019年1月18日-4月1日
国立新美術館
バーゼルのクンスト・ムゼウムとの共同企画。もっともイケムラのドローイング作品について完備した情報を集積している同館との共同によって、周到な作品選定が行われ、地上階を会場にする判断も含め、会場構成も作品の一部となるような緊密性を備えていた。大規模な個展のあるべきすがたを提示していた。

「中谷ミチコ その小さな宇宙に立つ人」
2019年7月6日ー9月29日
三重県立美術館 柳原義達記念館
公立美術館が次世代の美術家の作品展示をどのようにすべきかについてのひとつの回答を示した。いまを生きる彫刻家が、柳原義達の通常であれば展示されることの少ない戦前の貴重な作例なども含め、過去の作品群と対話をする。また、ブロンズではなく、石膏原型の柳原義達の《犬の唄》の初作と中谷の新作の犬が対峙する。希少な作例も含めて偉大な彫刻家の作品を総覧することのできる美術館ならではの、大胆で創造的な試み。

 

山本和弘
「松江泰治 地名事典|gazetteer」
2018年12月8日ー2019年2月24日
広島市現代美術館
ポスト近代写真のマニピュレイションを用いずに、ストレート写真の厳密な方法で、世界像がミクロとマクロ相互の階層的交差によって成立している事態を可視化するモダニスト・フォトグラフィーの極点を示す。

「鈴木理策 知覚の感光板」
2018年11月28日ー2019年1月16日
キヤノンギャラリーS
写真と絵画の闘争に終止符を打つ写真家が、印象派からポスト印象派への形式的変更に、形態と色彩の光学的再構築という世界拡張の写真的解を見出して生まれた近代主義写真の精華を示す。

「日日是アート  ニューヨーク、依田家の50年 展」
2019年6月29日ー9月8日
三鷹市美術ギャラリー
寿久の結晶絵画、順子の舞踏絵画、洋一朗の劇場絵画が生み出されるNYCソーホーの依田家フラットを再現した会場構成は、アーティストたちの古き良き理想郷ではなく、今あるべき理想社会の縮図を示した。

 

山脇一夫
「塩田千春:魂がふるえる」
2019年6月20日ー10月27日
森美術館
現代に必要とされる「存在の物語」を語る貴重な展覧会。この20年ほど国際的に活躍する塩田の、これまでの集大成ともいうべき大回顧展で、代表作も新作も大型のインスタレーショは見ごたえがあった。

「田根剛 | 未来の記憶」
東京オペラシティ アートギャラリー
2018年10月19日ー12月24日
旧ソ連軍の軍用滑走路を利用したエストニアの国立博物館、新国立競技場のコンペに応募した古墳スタジアムの案など鮮烈な印象を与えた。「土地の記憶」に根ざすことによって豊かな居住空間を取り戻す建築を提案しているのはすばらしい。

「吉本作次展 風景画論」
2019年3月23日ー4月27日
ケンジタキギャラリー 名古屋
画面をのた打ち回る雲や大気や木々の線、その中に芥子粒のように置かれる漫画的な人物。吉本の作品は現代美術が失った絵を見る喜びを蘇らせてくれる。その表現の裏には、日本や中国の山水画、またアルトドルファーなど古今東西の巨匠の作品の研究がある。

 

『美術評論家連盟会報』20号