藤枝晃雄を追悼する  尾崎信一郎

2018年11月09日 公開

 美術批評家はしばしば文体とともに記憶される。「たしかに、ひとびとはすでに近代芸術に対して、たとえば現代絵画を語りはじめてはいるが、しかし、それはあくまでも様式概念上、既成事実化された部分が近代から区別されたにすぎない。だが、近代とは様式概念であると同時に、また、ボードレールにはじまる強烈な近代の意識と感覚に裏付けられた価値概念として成立したのである」私は宮川淳の「アンフォルメル以後」を初読した際の鮮烈な印象を今でもありありと思い出す。美文調の宮川に対して、カタカナや地口を多用して挑発性とユーモアをともに宿した東野芳明の語り口、あるいは一つの現実をもとに美学と政治を一種の切迫感とともに結びつける針生一郎の一連のテクストもそのような例だ。
 彼らと比べても藤枝晃雄の文体は独特だ。それは一種のごつごつとした手触りを帯びており、むしろ悪文に分類されるだろうし、なによりもほかの批評家や作家に対する罵倒と批判に特徴づけられる。1978年に彦坂尚嘉は次のような言葉を残している。「70年代の現代美術批評は、藤枝晃雄氏を中心に展開してきたように思われる。氏を中心とする論争は硝煙弾雨、読むに耐えぬ下品な言葉の激烈な応酬で、誹謗中傷・独断偏見の荒野を拡大し続けてきた。同時に、ポロック論を代表とする藤枝批評の、豊饒な成果と〈作品批評〉の確立は、日本美術評論史上おそらく空前のものであろう」(*1) 。藤枝は作家や作品についての個人的な思いの披瀝、作品を口実にしたイデオロギーや思わせぶりな哲学の開陳を嫌い、常に作品を中心に置いて論じた。藤枝の批評はしばしばフォーマリズムと呼ばれ、確かに藤枝はアグレッシヴな姿勢を含めてクレメント・グリーンバーグの批評から多くを学んでいる。しかしグリーンバーグの批評が20世紀の近代絵画の最も豊かな鉱脈の上に成立していたのに対して、藤枝は戦後の日本という特殊な場において自らの批評を鍛えなければならなかった。日本の戦後美術の特殊性については例えば千葉成夫や椹木野衣らがそれぞれの言葉を用いて論じているところであるが、その当否について今は措く。後述する論集の序において藤枝は80年代以降の美術状況を次のように記述している。

 コンセプチュアリズムやポップ主義、(新)表現主義が対立したり融合しながら自己表現を甦らせ、もっともらしい美術の幻影を散在させていったのである。わが国で昨今話題になっている美術はその一端であり、それは欧米のレヴェルの低い批評家や学芸員たちが認める価値判断に追従したものである。一方、不充分とは言え、私は西洋の優れて異質な美術に眩惑され感化されながら、それを自発的にも批判的にとらえようとしたのであり、これが本書の趣旨となっている(*2)。

 いかにも藤枝らしい一節であり、時流に阿ることのない批評家の姿勢が明確に示されている。別の箇所で藤枝は次のようにも説く。

 高質な作品があれば、低質な作品がある。そればかりか、芸術全般が衰退する時期がある。エイズですべての芸術家が、人間が死ななくても「芸術のない日」ならぬ「芸術のない日々」は存在する(*3)。
 藤枝はこの文章を発表する少し前より、『美術手帖』に「美術の時代=批評の現在」という連載を開始した。現在という言葉が冠せられているにもかかわらず、初回こそポロックやルイスが論じられたものの、二回目以降、マネからモンドリアンにいたる近代美術の名品が毎回一点ごとに詳細に分析され、私たちを驚かせた。ちょうどその頃、私も美術批評を意識的に読み始めていたから、現代美術に対する形式的な分析、同時代の美術に対する辛辣な批判で知られた藤枝の「転向」には少々驚いた。しかし今になればわかる。芸術のない日々にあって、批評家はあまりにも愚劣な同時代の「美術」、日本の「現代美術」に飽いて、かつて自らを眩惑し感化した西洋の優れて異質な美術を再訪したのであろう。同時代の美術批評からの撤退を瀧口修造、あるいはマイケル・フリードに準えるのは強引であろうか。『絵画論の現在』としてまとめられたこの連載もまた藤枝の美術批評の頂点をかたちづくっているように思われる。
 ポスト・モダンの到来以降、批評家たちは作品の質を問うことがなくなった。小さな物語を前提として、質の判定を回避する姿勢は無際限の相対主義を生んだ。これに対し、作品の質に関する藤枝のしばしば攻撃的なまでの強い断定は、美術批評家としての強い責任感の裏返しであろう。藤枝をして、自らの判断に対するかかる自負を抱かせたのはまさに西洋の優れて異質な美術の体験であったはずだ。「地球がその動きを停止してもオーブリー・ビアズリーがポール・セザンヌよりも、アール・ヌーヴォーがキュビスムよりも高質にして重要だということは有り得ないだろう。優れた作品は、多義的で消耗しない」(*4)。
 今年、藤枝という傑出した美術批評家を失ったことは哀惜の念に堪えない。藤枝の批評の圧倒的な影響の下でモダニズム絵画の研究を続けた私にとって、それは一つの時代の終焉を画す出来事であった。唯一の救いはその生前に主要な著述が一冊の浩瀚な批評選集としてまとめられたことであろう。今までに引用した藤枝の文章もすべてこの論集に収められている。多くのテクストを収録することを優先したためであろう、薄い紙に印刷され図版を欠いた600頁に及ぶこの論集には関係者のコラムやインタビューも収められ、藤枝の批評の全幅を知るうえで必携とも呼ぶべき資料となっている。藤枝の著書の大半が入手困難な現在、未収録の文章も多く収録した批評選集の出版は日本におけるフォーマリズム批評の達成を確認するうえでも画期的な事業であり、編集に関わった方々の労を多としたい。この論集の後記、おそらくは藤枝が生前に書いた最後の文章の一つの中で藤枝は次のように記している。

 わが国の美術にフォーマリズムがあったとは思われないが、私が試みてきたのはある作品が存在するときそれはいったいどのようなものかという初歩的な記述や見方であり、その作品の内的、ときには外的な関係の追究である。そして、この初歩的な段階においてすでにわれわれは直感的に質的な価値判断をなしている(*5)。

 藤枝の批評の精髄とも呼ぶべき謙虚で明確な言明であり、フォーマリズム批評の核心を突いている。「芸術のない日々」にあっても私たちは質的な判断を恐れてはならない。それは美術批評に携わる者の倫理に関わっているからだ。

註:
1. 彦坂尚嘉「戦後美術批評の確立」『美術手帖』1978年7月号増刊、174頁
2. 藤枝晃雄『モダニズム以後の芸術』東京書籍、2017年、2頁
3. 同上 88-89頁
4. 同上 92頁
5. 同上 624-625頁