台湾、中国、韓国を旅して  五十嵐卓

2018年11月09日 公開

 昨年は台北、台中、台南、高雄、花蓮、今年は北京、ソウル、釜山、光州と回った。美術館やギャラリー、そして史跡などを見ることが目的であったが、私の心の中では共通する思索が膨らんでいった。いずれも20世紀前半に日本の統治時代があり、街のあちこちにその痕跡が見られることに起因している。美術館や博物館では多言語化が進み、解説パネルは中国語、ハングル、英語、日本語で記されていることが多い。統治時代の様子などは英語と日本語が元原稿の中国語とハングルの直訳ではなく、少し加減してマイルドになっているのではと感じることもあった。
 例えば、朝鮮王朝の王宮であったソウルの景福宮は、日本統治時代に敷地内の多くが破却され、朝鮮総督府庁舎が建設された。これは独立後の韓国人にとっては「歴史的屈辱の象徴」とされているが、景福宮内の国立古宮博物館での文字パネル表現は、さらりと流している文章であった。それは、学術的な文章だからというよりも、配慮が感じ取れるものであった。その朝鮮総督府庁舎は、後に国立中央博物館として利用されたが、「屈辱の象徴」は解体され、今では景福宮復元化事業が進行中である。朝鮮総督府は1922年から44年まで「朝鮮美術展覧会」を主催し、その間に多くの作家が日本に留学するなど、文化交流は盛んであったが、現在の韓国では統治時代と重なる近代美術はあまり展示されていない。まるで過去の記憶を封じ込めているようである。
 そんな思索を吹き飛ばし、今でも脳裏に重く圧し掛かるような衝撃的な展示があった。光州ビエンナーレでの壷井明作品である。大量のベニヤ板に女性像を描き、その女性像にアジア慰安婦の証言を貼り付けたインスタレーションである。過去の記憶を曝け出す展示手法に、一緒に見たアーティスト同様に愕然としてしまったのである。